2001/12/04

クリスマス


 グアラニとの後期リーグ決勝戦をPK戦の末に制し、年間チャンピオンのタイトルを獲得してから早くも2週間がたった。セロの優勝に沸くセリスタのお祭り騒ぎもようやく落ち着き街は早くも真夏のクリスマスを迎える準備に入っている。キリストの誕生の瞬間を再現するための17体セットの人形が街のあちこちで売られているのだが、クリスマスを過ごすのに欠かせないこの人形を買うために、先日メキシコから帰ってきたフーリオと車で買い物に行って来た。

 車を2時間ほど田舎町の方へ走らせると突然道路沿いにずらりと表れる人形屋。手のひら大の小さなものからそれぞれ1メートルほどある大きなものまで様々な人形を並べた店が何10軒も連なっている。一通り全てのお店を見て回った後で、「そんなでかいの何処に置くんだ?」というような大きい人形17体を買い車2台に詰め込んで再びアスンシオンへの向かった。約4ヶ月ぶりのフーリオとの再開は忙しかったものの楽しい1日となった。

2001/10/30

リオ

 メルコスールカップ一次リーグ最終戦を戦うためにリオ・デ・ジャネイロを訪れた。国際試合の場合は試合2日前には現地入りするため試合前日にはスタジアムで練習することも出来る。そのスタジアムでの前日練習へ向かいバスで高速道路を走っていた時の事。

 宿泊中のホテルからコパカバナの美しいビーチやボタフォゴ、フルミネンセなどのスタジアムのそばを通りぬけて市街地をしばらく走るとまたスタジアムのような大きな観客席がいくつも見えてきた。でも片側だけ。要するにメインスタンドのような部分だけあり対面側やゴール裏にあたる位置には何も無くて、このメインスタンド部分だけがいくつも並んでいるのだ。80メートルほどのものがあったり30メートルほどのものがあったりで不規則な間隔で並んでいる。そのスタンドの前には2,30メートル程のスペースがあるものの特にこれと言ったラインやしるしは無いしその先にはすぐに工場やビルが並んでいるため何かスポーツが出来るような物でもない。

 どう考えても何に使うものなの思いつかず、チームメイトに聞いてみると、「リオ・のカーニバルを知らないのか?」と言って教えてくれた。なるほどそうか。

 パラグアイ、アルゼンチンの両サン・ロレンソとのホームアンドアウェイの戦いはアウェイでの初戦を共に落とし苦しい状況であるが何とか勝ち抜けたい。

2001/09/14

デフェンソールス・デル・チャコ


 ボカとの試合は2-1の逆転勝利。リーグ最終戦がブラジルでのバスコとのゲームである事を考えるとどうしても落とせなかった勝ち点3を獲得できたと言える。各組1位と各組の2位の内上位3チーム、計8チームによる決勝トーナメントなのでこれで大分有利にはなったはずだが、自分にとっては予選突破が決まっていようがいまいが関係なくバスコ戦に出場してアピールしなければならない。

 国内リーグは現在5勝1分けのトップ、次節はクラシコとなるオリンピアとの対戦だ。リーグ戦で不調のオリンピアはセロに勝つ事のみがファンに対し面目躍如となるので、ここぞとばかりに必死になってやってくるだろう。それはセロの選手・ファンにとっても同じでいくら首位だろうがメルコスールで調子がよかろうがオリンピアに負ければ気分は台無しなのだ。ちなみに前期の対戦では1‐1のドローだった。試合はボカ戦以上の熱気に包まれるだろう。

 試合後の揉め事や危険を回避するため、キックオフは日曜日16時に変更された。ナイターの試合の後は危険が多すぎるのだ。

2001/09/03

テレレ


 8月はリーグ戦・メルコスール杯併せて9試合の強行日程。若さを買われてか全試合出場したわけだが、とにかく遠征続きの1ヶ月だった。これだけあちこち連れて行かれ外泊が続くともはや自分が旅芸人ならぬ旅サッカー選手のような気がしてきてなんだか楽しく過ごせてしまう。

 バス、飛行機での超距離移動もセロの仲間は苦にしない。必ず誰かが持ってくる南米のお茶テレレのセット(水を持ち運ぶテルモとワンパと呼ばれるコップ)があれば自然と皆が集まり1つのテレレセットで回し飲みしながら話し合う。飛行機の中でもバスの中でも狭い所に次から次へと集まってきてしまう。それはパラグアイの街中で見られる光景だ。ちなみに自分も自分の名前の入ったテレレセットをもっている。

 初の敗戦となったチリでのメルコスール杯カトリカ戦は気温5度の寒い中行われた。水を含んだグランドは柔らかくまともにプレー出来るような状態ではなかった事に加え前半での味方の退場、疲労の残る試合となった。その翌々日にはアスンシオンで国内リーグ戦をこなしセロ・コラに4-1の勝利。猛暑の中全員が疲労困憊で臨んだ試合だったがセロの底力を見せつけた。

 パラグアイはこれからまた暑くなるということだが、1試合ずつ結果を残しチームの躍進に貢献していきたい。

2001/08/23

7ヶ月

 昨年最後の試合となった天皇杯準々決勝。JEF市原は清水に敗れ2000年のシーズンは終わった。初戦、2戦目と先発していたがこの試合はサブ。しかしプレー自体は怪我から復帰してから一番体がキレていて
その感覚は4月に怪我をする前のものまで戻っていた。ここでシーズンが終わってしまうのはもったいないと思えるほどだった。相手に敗れた悔しさ、復帰後のシーズン終盤で思うようにチームの力になることが出来なかった悔しさを感じながらサポーターへの挨拶へ向かう途中の事。
 当時清水のミッドフィルダーでこの試合にもフル出場していたサントスが一人市原の応援席側のほうまで歩いてきて自分を捕まえ日本語でこう言ってくれた。
 「どうしてあなたはサブだったんだ。あなたはもっとやれるよ、今日だって素晴らしかったじゃないか」 涙が出そうなほど嬉しかった。自分が半年間怪我で苦しんでやっとの思いでたどり着いたと思えたその感覚はをその一言で確実な物になった。たった一言、けれども彼のその言葉は自分の背中をポンと押してくれた。今思うとそんな気がする。