2002/04/15

ブラジル


 レシフェにやって来て早くも1ヶ月が経った。スポルトとの契約後すぐにチームに合流してまた毎日サッカー漬けの日々を送っている。労働ビザ等の書類が整わないために未だ公式試合に出場はしていないがチームにもレシフェの街にも完全に馴染む事が出来た。同じ南米とはいえパラグアイとは言語・人種・歴史が違うため様々な違和感があるがブラジルでも有数のリゾートビーチを持ち美しく比較的にのんびりしたこの街を僕は気に入った。

 そのパラグアイとの違いの中でもとりわけ想像以上だったのがスタジアムに来るサッカーファンの熱狂度だ。パラグアイでももちろんサポータの熱狂はものすごかったがゴール裏の一部を除けば雰囲気としてはサッカーを愛し楽しみに来ている感じだった。だがこちらはゴール裏はもとよりスタジアム1周サッカー狂。紳士も子供も若者も同じレベルでプレーヤーの動きとレフェリーの判断を追いそして叫ぶ。選手にしても明らかにそれを試合中に意識せざるを得ないようなサポーターの試合へ干渉ぶりである。

 新しい環境に来ると様々な友人や新しい感覚、知識を得ることが出来る。本当に沢山ある。また少しずつ書いていこうと思う。

2002/03/14

レシッフェ


 契約が決まるまでの2ヶ月間を再びパラグアイで過ごしていた。保有権フリーの選手を集めたチームで練習や試合を重ね、空いた時間には個人的にフィジカルコーチとコンディションを上げていった。このチームは、契約が決まり去る選手と契約が切れて新たにやってくる選手がどんどん入れ替わるのでスタメンは不定だが、パラグアイの1部リーグのチームとの練習試合ではほとんど負けることは無かった。日本では考えられないチーム編成であったがこの仲間とサッカーをして沢山のことをまた学んだ。昨年のこの時期と同じ場所、そして全く同じ気持ちでスタート。サッカーは世界中どこにでもある。

 プロサッカー人生が二度あるならば、その内一度はJEF市原で所属できる限りプレーし続けていたと思う。JEF市原は自分にとってそういうチームだ。ただ自分には一度だけのサッカー人生。自分がサッカー選手でいられる間は常に自分の可能性を広げて見たいと思っているし、自分にある可能性を最大限に模索してみたい。今回に日本に戻らなかった事も、海外で自分を必要としてくれるチームがあるのならば日本でプレーする事は考えられなかったからだ。パラグアイで1年間プレーして本当に沢山の事を学んだり感じた。それは日本では感じ得られない事であり、自分がサッカーと言う世界の共通語を操る職業であったからこそ得られたものだと思う。

 今回も移籍に関して昨年同様沢山の人に心配と迷惑をかけてしまったが、自分に出来ることはやって来るチャンスをものにして結果を残していくことだけだ。言葉も違う自分のことを知らない人間を相手にまた一からスタート。だがやりがいはある。結果を出せばまた得るものもあるだろう。とにかく精一杯頑張ろうと思う。

2001/12/18

帰国

 本格的な夏が始まっているパラグアイについに別れを告げ地球の裏側、真冬の日本に向かっている。サンパウロ、ニューヨークでのトランジットではいつも2・3時間ずつ待たされるので文章を書くのにちょうど良い。

 完全優勝のおかげで最後の1ヶ月はリーグ戦終了後の2週間のオフとその後2週間のトレーニングをこちらで過ごしゆっくり南米のパラダイス、パラグアイを味わった。選手主催のアサードでは午前練習の後の午後いっぱいを使って皆でプールやビーチバレーで遊んだり日陰で集まってカードをしたりのんびりと過ごした。パラグアイにはこうした週末をゆっくり仲間で過ごすための施設が数多くあり安い値段で利用できるので、金土日曜日はあちこちで夜中までのパーティーを見かけることが出来る。

 パラグアイを去る際に全ての友人そしてチーム関係者に1年間分のお礼と別れを告げて、自分がいかに彼らに助けられてやってきたかを再確認した。彼らのエネルギッシュな陽気さと自分をいつも家族の一員のように受け入れてくれた懐の深さに心から感謝している。彼らのような温かい人間でありたいと思う。

2001/12/04

クリスマス


 グアラニとの後期リーグ決勝戦をPK戦の末に制し、年間チャンピオンのタイトルを獲得してから早くも2週間がたった。セロの優勝に沸くセリスタのお祭り騒ぎもようやく落ち着き街は早くも真夏のクリスマスを迎える準備に入っている。キリストの誕生の瞬間を再現するための17体セットの人形が街のあちこちで売られているのだが、クリスマスを過ごすのに欠かせないこの人形を買うために、先日メキシコから帰ってきたフーリオと車で買い物に行って来た。

 車を2時間ほど田舎町の方へ走らせると突然道路沿いにずらりと表れる人形屋。手のひら大の小さなものからそれぞれ1メートルほどある大きなものまで様々な人形を並べた店が何10軒も連なっている。一通り全てのお店を見て回った後で、「そんなでかいの何処に置くんだ?」というような大きい人形17体を買い車2台に詰め込んで再びアスンシオンへの向かった。約4ヶ月ぶりのフーリオとの再開は忙しかったものの楽しい1日となった。

2001/10/30

リオ

 メルコスールカップ一次リーグ最終戦を戦うためにリオ・デ・ジャネイロを訪れた。国際試合の場合は試合2日前には現地入りするため試合前日にはスタジアムで練習することも出来る。そのスタジアムでの前日練習へ向かいバスで高速道路を走っていた時の事。

 宿泊中のホテルからコパカバナの美しいビーチやボタフォゴ、フルミネンセなどのスタジアムのそばを通りぬけて市街地をしばらく走るとまたスタジアムのような大きな観客席がいくつも見えてきた。でも片側だけ。要するにメインスタンドのような部分だけあり対面側やゴール裏にあたる位置には何も無くて、このメインスタンド部分だけがいくつも並んでいるのだ。80メートルほどのものがあったり30メートルほどのものがあったりで不規則な間隔で並んでいる。そのスタンドの前には2,30メートル程のスペースがあるものの特にこれと言ったラインやしるしは無いしその先にはすぐに工場やビルが並んでいるため何かスポーツが出来るような物でもない。

 どう考えても何に使うものなの思いつかず、チームメイトに聞いてみると、「リオ・のカーニバルを知らないのか?」と言って教えてくれた。なるほどそうか。

 パラグアイ、アルゼンチンの両サン・ロレンソとのホームアンドアウェイの戦いはアウェイでの初戦を共に落とし苦しい状況であるが何とか勝ち抜けたい。