2012/08/27

17年間


 日本でプロ選手としてのキャリアをスタートし、その後は幸運にも数ヶ国でプレーをする事ができた。 ジェフ、ヴェルディ、セレッソ、ザスパとそれぞれの色のある素晴らしいクラブに在籍してプレー出来た事を幸せに思う。

 海外では多様な宗教や文化、自分の知らない考え方と価値観を持つ人々の中で生活をして、常に不公平とチャンスの中にいた。 自分がそれまでに培って支えにしてきた知識や価値観は、時に身動きを鈍くするという事も知った。 

 日本でも海外でも様々な街に暮らした。そこに住んで初めて分かる事、違和感のように感じていた事は、少しずつ理由を知ると共にいつのまにかその土地への愛着へと変わっていった。重石を自分で取り払ったのか、周りの人々に知らぬ間に取り払われたのか、現地の暮らしに馴染み、サッカー以外の余計なものに囚われず、大切な家族と多くの時間を過ごしていると、サッカーと自分の間にある贅肉が削ぎ落とされていくのを感じる。

 そこに行かなければ見えない景色を見た事、そこでプレーしなければ分からない理屈を感じた事、そしてそれぞれの場所で多くの友人と出会った事は今の自分の財産である。

 アメリカでの2シーズンも最後の最後まで本当に面白かった。昨夜のホームゲームは自分の現役最後のものとなったが、最後のゲームを家族の前でプレー出来た幸運を嬉しく思う。 17年間のプロ選手としてのキャリアを終える事にはなるが、それは、これから第二の人生を歩むという事ではなく、これまでそうして来たように、これからも限りある一度の人生を家族とサッカーに寄り添って生きていくという事だと思う。 

 これまで長く自分を支えてくれていた本当に多くの人々に深く感謝しながら、これからも自分らしくサッカーを続けていきたい。

2011/04/24

交代枠



 これまでいくつかの国でプレーしてきて、思わぬサプライズに出くわす事も多かった。様々な経験をしてきたつもりだが、昨日の試合で味方の3人の交代が終えた後に、4人目と5人目の途中交代選手が入ってきたのには、ピッチにいながらも驚いた。個人的には、この5人枠の制度には賛成だ。昨日の試合でも4人目の選手のアシストで5人目の選手が試合を決めて人々の興奮を呼んでいた。

 もう一つ、驚きに値するアウェイ遠征用のチームバス。
http://www.richmondkickers.com/Bus/index_E.html
http://www.richmondkickers.com/Bus/Amenities/index_E.html

 来週末は初めてのアウェイでのゲームになる。

2011/04/11

Richmond


 ホームでのピッツバーグ戦、後半の残り30分ほどの出場ではあったが、アメリカでのキャリアをスタートする事が出来た。ここまで、チームとの契約や渡米の準備、日本でのトレーニングなどを含めて移籍に協力してくれたすべての人に改めて感謝をしたい。

 アメリカが自分にとって6カ国目のキャリアになる。これまで、どこの食べ物が美味しかったか?どこの国のサッカーが楽しかったか?という事を聞かれる事が多くあった。各地の食事をあれこれ思い出しながら悩み、いくつかの答えを出す。しかし後でまじめに考えてみると、結局は空腹や渇きを満たした食事が一番だったのかとも思う。日本でも、世界のどこの国に行っても、自分にサッカーに対する渇きがある限り、どんな環境でも、サッカーとそれに付随する多くの出来事が自分を潤してくれる。交代でサイドラインに立った時、そして勝利の試合終了ホイッスルをピッチで聞いた時に、そんな事を強く感じた。

 チームに合流してから1週間が経ったが、チーム関係者やチームメイトの助けもあり、家族と共に順調にアメリカでの生活に慣れる事が出来ている。役所関係の書類のやり取りなど細かい作業を進めなければならない面倒な部分もあるが、季節も過ごしやすくなってくるこれからの生活も楽しみだ。次の金曜日はホーム4連戦の3試合目になる。

2011/03/15

2011


 震災の影響で3月中のJリーグ全試合が中止になった。しばらくは混乱と不安の中でサッカーどころでは無いという日が続くのかも知れない。本当に大変な状況ではあるが、サッカーファンが再びJリーグに熱中できる様な日常に、早く戻れる事を心から祈っている。苦境や困難に立ち向かう時、人と人と心のつながりやコミュニテイの結びつきの強さは、目に見える、そして見えない力となって必ず厳しい立場の人々の助けになれるはずだ。サッカーファンの輪の中心に存在するサッカークラブが、震災で苦しい思いをしている多くの人々を助ける動きの中心になれると信じている。

 現在、アメリカサッカー協会の承認と労働許可の承認待ちではあるが、今シーズンをアメリカ独立リーグ(USL)のリッチモンドでプレーする事が決まった。これまで日本から南米、ヨーロッパと渡り、その後6シーズン余りを再び日本でプレーしてきたが、このタイミングでまた知らない土地でプレー出来るチャンスを大切に思う。そして、今回の移籍に直接・間接的に関わってくれた全ての人に深く感謝したい。

 南米のやヨーロッパの国々のサッカーのシステムは、それぞれ独特で特徴があり不規則で歪な形に見える。しかし、現実にはお金や選手の動きが動脈となって、まるで根幹には同じ価値観を持ってるかのように、それぞれが上手く輪郭を溶かし合い、大きなフットボールパズルの1ピースとしてピタリとはまっていく。理不尽ささえも魅力的に魅せてしまうサッカーは、人々の人生に深く染みていた。

 そんな南米やヨーロッパの良い部分を取り入れて急速に発展してきた日本のサッカーは、これからもこれまでと同じように、パズルにはハマらない形を目指していくだろう。今回移籍の決まったアメリカのサッカーも、外から見た限りでは日本と同じように独立したピースなのかもしれない。2022年のワールドカップ誘致では、新興の1ピースであるカタールとロシアに同じように敗れた2つのサッカー。そんなスタンスは似ていても未知なアメリカで、今シーズンはプレーする。

2010/11/30

最終節


 サッカーに触れていると、時に様々な苦しさが付き纏う。残留や昇格の争いだったり、自分の愛するクラブがなかなか前に進めずにもがいたり。選手もファンもクラブも、ボールが気まぐれに動く度に歯を食いしばり、目の前の敗戦にも、ライバルクラブの躍進にも心が曇る。しかし、サッカーの本質から、こんこんと無限のように溢れ出してくるのは、人を夢中にさせる喜びや感動だけだ。この3試合、ザスパ草津が戦うピッチには、サッカーをプレーする喜びと、そこに立ち会い共に戦うサポーターの喜びが溢れていた。最終節を迎える今、自分がザスパの一員としてこのクラブの原点ともするべき状況に身を置けることを嬉しく思う。

 思えば、サッカーをやっていて一番苦しかった時、自分はブラジルにいた。日韓ワールドカップが開催される中で国内リーグも並行して行われていて、人々はまさにサッカー漬け。しかし、その熱狂はどこかからの借り物のようにやって来たのではなく、ボールと人のあるところに溢れ出る熱として、超然と存在していた。当時、自分の周りには給料未払いで苦しむチームメイトやスタッフ、クラブに住みこんでチャンスを掴もうと必死の若手選手たちがいた。クラブに集まる様々な人間の中心にサッカーがあって、苦しい状況の中でも熱が生まれて、皆が生きていくエネルギーになる。前に進めずにもがいていた自分に、ブラジルはサッカーの奥の深い楽しさを教えてくれた。

 プロサッカーの無かった地域に小さく生まれて、サッカーが日常に無かった人々を巻き込んで、ここまで戦ってきたザスパ草津。力強く無限の湧出量を誇る草津温泉の湯のように、喜びや感動の湧き止まないクラブでありつづけるようにと願いを込めて、最終節に臨みたい。

2010/04/13

2010


 群馬では冬から春先にかけて嵐のような突風が吹き荒れる日が多くある。 昨年に越してきた頃は、あまりの突風と、その風の止む気配の無さに、これからの生活の不便さを残念に思えたものだった。

 新しいシーズンが始まって、同じ街での生活も2年目を迎えている。突風には慣れることは出来なかったが、それでも昨年と同じように、いつの間にか風はなくなっている。毎朝の犬の散歩コースにある麦畑は、これから昨年と同じように順調に育ち、梅雨前の収穫が終わると、今度は水路から水が引かれて同じ場所に稲が植えられるはずだ。住んでみて初めて知る事が多いからか、地元の人が多く住む中混ざって住んでいるからか、目の前にあるのは何気無い自然の移り変わりなのに、日々群馬を好きになる。これまで住み慣れた頃に次の街に移ることの多かった自分にとって、自然の豊かな群馬でまた新たな四季を迎えられる事を嬉しく思う。

 リーグ戦では、昨年と同じような好スタートを切ることは出来ていない。しかし、ザスパ草津にとって毎週末にやってくる試合は、どんな状況であっても、その1試合1試合がこれまでの長い苦労を元に得たチャンスだと思う。思うように結果が出ない状況で、未だなかなか今年のサッカーの色を表現する事は出来ていない。しかし、苦境を体当たりで乗り越えてきたクラブとしての色がグラウンドで滲み出るような、そういう試合をしていきたい。

2009/03/19

2009


 群馬にやって来てから2ヶ月になる。練習場への行き帰りに運転席から綺麗に見える赤城山。麓から長くなだらかな斜面が続き、ゴツゴツとした山頂側に向かうに連れて勾配も輪郭も険しくなる。赤かったり青かったり、雲に隠れたり薄白く雪を被ったりと日々その表情を変える姿は魅力的で、子供の時からこういう形の山を好きだった事を思い出した。未だ自分にとっては、そこに赤城山があるのは当たり前ではなくて、日々、山のシルエットが目に入った瞬間に、新鮮な空気を一杯に吸い込んだような気持ちになる。

 ザスパ草津は、他のチームがまるで当たり前のように所有している物を、一つ一つ手を伸ばし、苦労して掴んで手に入れてきたチームだ。練習グラウンドや様々な施設、J2に昇格したことや昨年の初の連勝も、チームの全ての財産は選手とチームとサポーターが作った歴史の中にある。

前節チームは福岡に初めて勝利し、それはザスパにとって初めての開幕連勝スタートとなった。90分走り抜いて結果を残し、それがEVER ONWARDという文字と共にチームの歴史に刻まれる。試合終了の瞬間、やっとチームの一員になれた気がした。


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 プロジェクト・エスペランサの活動として、昨年の夏の『パラグアイフレンドリーカップ』で行われた、チャリティーオークションの収益から、3回目となるパラグアイの子供たちへのサッカーボール寄贈が行われました。(詳しくはプロジェクト・エスペランサHP内のプロジェクトエスペランサblogから)チャリティーオークションに参加していただいた皆様に感謝しています。南米から遠く離れた日本で、今後も様々な形を模索しつつ、サッカーへの情熱の原点の一つでもあるこの活動を続けていくつもりです。応援よろしくお願いします。

2008/12/15

追想


 時々ふと、ついこの間まで母の病院に通っていたという事が不思議に思える時がある。亡くなるまでの最後の2ヶ月、毎日のように家族が集まり、ああだこうだと話をして、皆でお茶を飲んだり母の足をマッサージしたり、時にただぼんやり過ごしたり。それは自分の人生に於いて何物にも代えようの無い、宝物のような大切な時間だった。偶然かもしれないが、この3年間を病院からそう遠くないヴェルディというクラブでプレー出来た事に深く感謝している。

 ヴェルディで過ごした時間、これまでのキャリアの中で一番、自分のプレーがイメージに近かったように思う。チームはいつもギリギリの状況が続いていた。それでも、どんな時でもプレーしていて本当に楽しかった。だからサポーター皆の「ありがとう」と言う別れの言葉に対し、自分が返す言葉も「ありがとう」になる。サポーターの期待と励ましと声援と、逆境や感動を共有できた事に。本当にありがとう。

 サッカーをキャンバスに喩える事があるが、それならばヴェルディは既に一度完璧に完成された絵だ。Jリーグの歴史が続く中で、人間が入れ替わりつつ、それぞれが日々一筆ずつ足して、なお絵として新たな魅力を持ち続けるというのは簡単な事では無い。大きくバランスを崩したり何かを失ったりする事もある。ただ、大事なのはその過程を経てクラブから伝わってくる直向さやヴィジョンなのであって、そこから発せられる強いメッセージが、将来への期待や夢になってサポーターを惹きつけるのだと思う。

 ヴェルディが今後もヴェルディらしくありつつも、新たな魅力の種を蒔き続けるクラブである事を期待している。

2008/06/13

アヒルと猫


 ナビスコカップの予選が終了して、Jリーグは中断期間に入った。束の間のオフを挟んで、御殿場でのミニキャンプからは、チームにとっても自分にとっても仕切り直しになる。

 少し前になるが、キリンカップのパラグアイ代表として来日した、セロ・ポルテーニョ時代の仲間に会うことが出来た。選手が2人にドクター2人。そのうち2人のあだ名は「パト」と「ガト」。雰囲気が似てるからという理由で、そのままアヒルと猫である。思えば彼らのおかげでスペイン語の「アヒル」と「猫」はすぐに覚えた。他にもチームには、ニワトリに猿、コウモリや虎や牛などもいたから、自分のスペイン語の語彙は簡単に増えていった。
「やっと日本に来られた。本当に美しい国だね!」

 南米を出てからもう6年が経っている。同じフィールドではなくても、お互いに世界のどこかでサッカーを続けてきた。また彼らに出会えた事、そしてパラグアイで自分が幾度となく説明させられた日本という国を、少しでも知ってもらえた事が嬉しかった。

 写真は束の間のオフに。

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 先日、プロジェクト・エスペランサの活動として、パラグアイの子供達へサッカーボールの寄贈が無事に行われました。(詳しくはプロジェクト・エスペランサblogから)皆様の本当にたくさんのご協力に感謝しています。一張羅のユニフォームを着て集まってくれた子供たちの笑顔は、自分の知っているあのパラグアイの子供たちそのままです。その様子は遠く日本からでも目に浮かんできます。本当にありがとうございました。今後も様々な形を模索しつつ、活動を続けていくつもりです。応援よろしくお願いします。

2008/04/11

フラッグ


 この春から、家から歩いてすぐのところにある商店街に、ヴェルディのフラッグが掲げられるようになった。自分のプレーするクラブの旗が、自分の住む街にはためく。このJリーグでも当たり前ともなりつつある事は、広範囲に散らばって住んでいるヴェルディの選手にとって、今まであまり経験の無い事かもしれなかった。これがなかなか嬉しい。J2から再びJ1に舞い戻って、クラブはまた少しずつ新しい歴史を作っていかなければならない。明日は3年振りの東京ダービーだ。
 残念なことに、久し振りの怪我で今回のダービーには出られない。症状は思ったよりは軽く、初期治療が効果的だった事もあり、順調に回復している。しっかり治して最高のコンディションに戻してから、そのころ昇り調子であろうチームに合流できたらと思う。


 だいぶ時間が経ってしまいましたが、昨年の「プロジェクト・エスペランサ」のチャリティー活動の成果として子供達に手渡すボールが完成しました。たくさんのご協力ありがとうございました。近々、配布の様子もプロジェクト・エスペランサblog上にてお伝えできると思います。

2008/01/25

2008


 今日から東京ヴェルディの2008年シーズンインとなった。デザインが変わった緑の真新しい練習着に袖を通すと、これから始まるシーズン前のフィジカルトレーニングへの憂鬱も薄らぐのが不思議だ。寒風が吹きさらすグラウンドで、毎年恒例の必勝祈願が催され、選手・スタッフの皆が顔を揃えて神妙に儀式を執り行うと、いよいよ今シーズンがスタートした事を実感する。

 チームとサポーターとが一丸になり、苦労をして、そして心を込めて昇格させたチームで今シーズンもまたスタートを切る。それは自分にとって初めての経験で、サッカー選手として幸せな事だと思う。自分にとってもチームにとっても良いシーズンに出来るように、まずはキャンプインまでしっかりと準備をしたい。

2007/12/04

96試合


 普通の仕事だったら、7回もの連続した失敗は致命的だろう。しかし、サッカー選手には、どんな状況でもピッチに立った時点で、自分で未来を切り開くチャンスがある。7連敗してなおアウェーまで駆けつけてくれたサポーターに声援を送られながら、そんな気持ちで京都とのキックオフを迎えた。その日は30歳の誕生日だったから良く覚えている。

 「ヴェルディのサポーターは、まだまだ数が少ない」という話が出る事がある。数は地道に増やせば良い。数は比例してきっとチームを強くする。しかし、それよりも7連敗をしても昇格を信じてアウェー各地まで来てくれた人たちがいた事を、クラブは大きな財産として欲しい。苦しい時にスタンドで、クラブの中で、ピッチでとそれぞれが経験した事は、昇格が決まった瞬間に報われて、次のステップへの土台になるのだと思う。

 2年間、100試合近くもの間、ヴェルディをJ1に上げるためにずっと支えてくれていたサポーターの皆に感謝したい。
本当にありがとう。

2007/08/03

チームカラー


 今シーズンは、練習から緑のユニフォームを背負ってプレーをしている。サッカークラブとそのファンにとって、チームカラーはお互いを結ぶ絆だ。長い年月で選手や監督が移り変わっても、クラブの存在と共にチームを象徴し続け、ファンの心に染み込んで行く。ヴェルディの緑色は、日本の他のどのクラブにも譲らない歴史と責任を含んでいる。

 ポルトガルでプレーしていた頃、FCポルトが既に優勝を決めていた最終節で、選手や監督が顔も髪もチームカラーの青と白で派手にペインティングしてプレーしていた事を忘れられない。もともとブルー一色だった旧ドラゴンスタジアムは敵チームのユニフォームを除いて、青と白の2色に完全に染まっていた。

 今シーズンも残り19試合。味スタでのホーム最終節を前に優勝を決める事を目標に、ピッチを上げて行きたい。


 今年もプロジェクト・エスペランサの活動として、第2弾のTシャツ販売を行います。
 前回のTシャツのデザインを元に、バックスタイルをよりシンプルにして、カラーバリエーションを増やしましたので、より着易くなったのではと思っています。
 PROYECTO ESPERANZA
 プロジェクト・エスペランサの南米の子供達へのチャリティー活動に、ご協力をよろしくお願いします。

2007/01/18

2007


 何年ぶりかにオフをゆっくりと過ごした。家族揃って年を超せたのはいつ以来であろうか。地元の友人と初蹴りをしたり、親戚を尋ねてのんびりと過ごしたり、試合で訪れた事はあっても探索した事の無い土地を訪ねたりした。

 2年振りにフランスにも行く事が出来た。クリスマスを跨いで訪れたため、毎晩友人達の家族のパーティーを渡り歩き、夜中までゆっくりと近況報告やサッカー談義をする事が出来た。飾る事無く、互いの空白の月日を感じさせない彼らの友情に感謝したい。

 南米に渡った当時、貧しく不公平の中を生きる人々が、何も飾らずに自分に接してくれた事が忘れられない。それまで不自由なく暮らしていた日本で、自分が如何に本質から離れた事に神経を使っていたかに気付いた。そして以来、自分とサッカーとの距離も初めて出会った頃のように近づいた。

 飾らない人々に囲まれて時を過ごし、そして自分本来のニュートラルな位置を確認する。近くスタートする新シーズンに向けて、十分な休養をとり、心身ともに充電する事が出来た。

 写真は、シャルル・ド・ゴール空港から電車に乗り、地下鉄の到着駅からの長い階段を登り切って初めて見たパリの景色。あまりに美しい夕焼けに旅の疲れも吹き飛んだ。

2006/09/29

朝顔


 先週、ずっと自分の活躍を楽しみにして、いつも応援してくれていた祖父が他界した。山形戦のため葬式に出席する事は出来なかったが、試合後に新幹線とレンタカーを乗り継いで、夜中には岡山県にある祖父の家に着いた。翌日に父と伯父の墓参りをして月曜日に東京へと戻る慌しい旅だったが、緑の山々に囲まれた祖父母のいる田舎に行くと、初心に帰る。

 山形戦は久しぶりの完封勝利となった。苦しい試合を皆で力を合わせて無失点にした事に大きな価値はある。しかし個人的には、得点は出来たものの手放しで満足できる状況ではない。今までの一生の殆どをサッカーに打ち込んで来た事を照らし合わせると、どんな試合の後も、もっとやれるという思いが込み上げる。残り10試合、どの試合の中にも無駄な時間は1分も無い。

 そんな中、初めてヴェルディサポーターの前で受けたヒーローインタビューは嬉しかった。その前節に愛媛までバスで10数時間かけて遠征を敢行して駆けつけてくれた多くのヴェルディサポーター。遠いアウェイの地で90分以上喉を嗄らしてくれたサポーターと分かち合う勝利は、選手にとっても特別なものだった。インタビューの中で、「いつも声援をありがとう」という簡単な一言を言えなかったのが悔やまれるが、試合で自分のベストを尽くす事で、期待に応えられればと思う。
 写真は、我が家で膨らみつつある朝顔の種。

2006/08/18


 8月もあっという間に半分が過ぎた。7月中は梅雨の雨のせいか、それほど暑いと思うことは無かったのだが、8月に入ってからは犬の散歩で7時前に家を出ると、すでに十分に暑い。毎日うだるような蒸し暑さの中で練習をしている。ヴェルディには日本のクラブでも髄一とも思える、サウナと水風呂の付いた立派な風呂場がある。普段は苦手なのだが、夏場の練習後の冷えた水風呂は気持ちが良い。

 新たにジウマールが仲間に加わって、1月にスタートした時点とは、外国人選手が丸々入れ替わった事になる。諸事情で慌しくチームを離れたアナイウソンとデジマールとは、別れの挨拶もろくに出来なかった事が心残りだが、新しくやってきた3人は、その明るい性格のせいか、それともクラブの培ってきたホスピタリティからか、すでに昔からいる仲間のようにチームに馴染んでいる。例年に無い程のシーズン中の補強も、一昨日の味スタを借りてのトレーニングも、全て昇格という大きな使命があり続けるからである。

 今週は、スタッフと、そして選手だけでと二度のミーティングで、チームがこれからどう戦い続けるかを話し合った。

 写真は外房の海で。快晴のオフの日に、初めて地元である千葉県外房の海水浴場に行ってみた。やがて来る台風の影響で高い波の打ち寄せる白い砂浜と海の水は、想像よりもずっと綺麗だった。

2006/06/30

サッカーボール


 急激に蒸し暑くなってきた。そんな中今週は二度の練習試合の後、木曜日には午前午後の二部練習をこなすハードな一週間となった。夏場のJ2で勝ち点を重ねる為には、ベースとなるコンディションを底上げして、維持していかなければならない。少々きつくてもトレーニングの負荷は上げていくべきだ。そしてその分、例年以上に練習時以外の休養にも神経を使わなくてはならない。

 少し前の話になってしまったがプロジェクト・エスペランサ(blog)のチャリティーによる、サッカーボールの配布が無事に行われた。チャリティーに協力して下さった、多くのファンの方々やプロジェクトの仲間に感謝すると共に、今後も少しずつでも活動が広げていければと強く思う。パラグアイ代表チームはグループリーグで敗退してしまったが、ワールドカップではセロ・ポルテーニョのチームメイトも数人プレーしていた。サッカーだけが成功する手段という状況で自分の力を信じ、ワールドカップの檜舞台でプレーする彼らは、パラグアイの子供達の希望でもある。そんな仲間の活躍に大いに刺激を受けた。

2006/06/11

J.VILLAGE


 少し前の事になってしまうが、アウェイでの蔚山現代戦のために韓国を訪れた。空港からバスに乗り込みホテルへと向かうと、すぐにハングル文字の看板や標識が目に飛び込んでくる。挨拶程度の言葉は知っていても、当然ながら読み書きは何一つ分からない。ふと、日本にやってきた外国人選手の、日本で生活を始める際のストレスが、いかに大きいかを感じた。

 音として言葉を覚えていく事は可能でも、テレビや街で目から入ってくる新たな言葉の意味を参照したり覚えるのは、さぞ骨の折れる事だろう。幸運にも自分が行った国々では、アルファベットで綴られた文字を目で追って言葉を覚える事が出来たが、三種類の文字を使う日本語は手の付けようが無い代物にも思える。

 今日からJビレッジでのミニキャンプがスタートした。自分にとってもと大事なキャンプではあるが、チーム内のブラジル人選手を少しでも助けられればと思う。写真は韓国から戻り、そのまま遠征し二泊した松山で。

2006/04/28

ホテル


 前泊のホテルに向かう道の異様な混み具合と運転中のラジオで、世間がゴールデンウィークに向かっている事を知った。明日から愛媛の試合まで、ゴールデンウィークをぶっ通しで遠征が続く。計算すると、年間60泊以上をホテルに滞在する事になる。そのため今年は、東京に戻る引越しに伴い、サッカーチャンネルと共に映画チャンネルを契約して、ホテルや移動の時間の多くを映画を観て過ごしている。その内の一本、「モーターサイクル・ダイアリーズ」。

 南米でプレーしていた頃、多くのチームのサポーターの様々な横断幕の中に、いつも見かけたのが、ジム・モリソンとチェ・ゲバラだった。左翼的なゲリラ活動や思想は知っていたが、南米を良く知る知人から薦められて映画の存在を知り、23歳で初めて国を出て南米を横断した医学生が、何を見てどう感じたかという事に興味を持っていた。

 映画には美しく険しい風景、人懐こくて暖かい人々、そして、南米のどの国にも存在する、人々の過酷な状況があった。それは、時代こそ違えど自分が好きになった南米のそのままの姿だったように思う。ダンス音楽やアルゼンチン訛りのスペイン語も懐かしかった。そして、なんでもないシーンの一つ一つに、大いに共感した。

 忙しさと情報量の多さ、時の経過の甘えに流されずに、自分の思いを大事にして生きたいと思った。

2006/04/23

「のぞみ」


 J2リーグは移動が多い。柏戦で今期リーグ戦に初出場して以来、水戸・鳥栖とアウェイが続き、国立でのホームを挟んだ後に、今週は火曜日に仙台、土曜日に神戸と新幹線での移動となった。勝ち点3を持ち帰れれば、移動の時間も短く感じられるのだが、今週はなかなかしんどい1週間になってしまった。何時間もの移動の後に出場した短い時間で、持っている力の全てを出し切れなかった悔しさが、オフとなった今朝も残る。来週以降は韓国遠征を含みアウェイの愛媛との試合まで連泊連戦となる。移動疲れを溜めないためにも、試合に勝つ事が次の試合への最善の準備となる。

 写真は新幹線から見える富士山。「のぞみ」には昨年から何度も乗っているが、この日は午後の移動で天気も良かったため、久しぶりに綺麗な富士山を見ることが出来た。