2002/03/14

レシッフェ


 契約が決まるまでの2ヶ月間を再びパラグアイで過ごしていた。保有権フリーの選手を集めたチームで練習や試合を重ね、空いた時間には個人的にフィジカルコーチとコンディションを上げていった。このチームは、契約が決まり去る選手と契約が切れて新たにやってくる選手がどんどん入れ替わるのでスタメンは不定だが、パラグアイの1部リーグのチームとの練習試合ではほとんど負けることは無かった。日本では考えられないチーム編成であったがこの仲間とサッカーをして沢山のことをまた学んだ。昨年のこの時期と同じ場所、そして全く同じ気持ちでスタート。サッカーは世界中どこにでもある。

 プロサッカー人生が二度あるならば、その内一度はJEF市原で所属できる限りプレーし続けていたと思う。JEF市原は自分にとってそういうチームだ。ただ自分には一度だけのサッカー人生。自分がサッカー選手でいられる間は常に自分の可能性を広げて見たいと思っているし、自分にある可能性を最大限に模索してみたい。今回に日本に戻らなかった事も、海外で自分を必要としてくれるチームがあるのならば日本でプレーする事は考えられなかったからだ。パラグアイで1年間プレーして本当に沢山の事を学んだり感じた。それは日本では感じ得られない事であり、自分がサッカーと言う世界の共通語を操る職業であったからこそ得られたものだと思う。

 今回も移籍に関して昨年同様沢山の人に心配と迷惑をかけてしまったが、自分に出来ることはやって来るチャンスをものにして結果を残していくことだけだ。言葉も違う自分のことを知らない人間を相手にまた一からスタート。だがやりがいはある。結果を出せばまた得るものもあるだろう。とにかく精一杯頑張ろうと思う。