2002/08/04

ブラガから


 日本語だと一つ一つ別の意味を持ってしまうが、スペイン語では「命」も「人生」も「生活」も「la vida」である。日々生活を楽しく過ごす事が人生を楽しく過ごす事であり、日々生活を充実させることが自分の限りある命を充実させる事であるという気持ちになるから僕はこの言葉が好きだ。

 昨年、1年間の海外でのプレーに協力してもらう事を条件にしてJEF市原と契約を結び南米へと渡った。 今回のスポルティング・ブラガへの移籍では、マスコミを含めほとんどの人に国際移籍をする経緯・システムが知られていなかったため沢山の誤解を生んでしまったと思う。誤解を少しでも減らせればと思い書くが今回までにJEF市原フロントとの数回の話し合いの中で結論としていつも出ていたのは、自分が海外クラブに所属した時にそのクラブの所属する国のサッカー協会から日本サッカー協会に要請する国際移籍証明書がそのクラブに届くのか、もしくはJEF市原の主張を理由に日本協会内で止められるかと言う事だけだった。

 その互いの主張に白黒がつけばお互いに結果は問題は無いという互いの認識を確認して自分は1月に南米に渡った。新聞等の報道で誤解されている方も多いかもしれないがその後ブラジルのスポルト・レシフェと契約した際にそこまで事態が到達しなかったのは国際移籍証明書発行依頼に必要な自分のブラジルでの労働ビザが、所属クラブの経営状態等の影響で下りなかったためである。

 その後パラグアイのクラブチーム、リバー・プレートに所属し国際移籍証明書依頼がパラグアイサッカー協会より日本サッカー協会に行った後、国際移籍証明書がパラグアイサッカー協会に無事届いた。それを受けてヨーロッパへの移籍を視野に代理人に複数チームとの交渉をしてもらい現在のスポルティング・ブラガとの1年契約したという状況になった。現在はポルトガルから国際移籍証明書の発行依頼も出ていてその到着を待っている状況である。

  大雑把に状況を書いたがすべてを書こうとすると文章で表すには言葉が足りなくなってしまい、また更なる誤解を生む可能性もあるので現在の状況ではっきりしている部分を書いた。いずれ今回の推移をきちんと説明できる機会があればよいと思う。JEF市原との移籍交渉、またはその後の話し合いでは常にお互いの状況・考えを理解しあえていたと思うし、自分が市原というチームに対してどういう思いがあるかはJEF市原に伝わったと思っている。ただ契約として成り立たなかっただけなのだが数度と市原の社長や強化部長に話し合いの場を持ってもらえた事に感謝している。

 現在スポルティング・ブラガに合流して1週間が経とうとしている。スタッフやチームメイトの中にスペイン語を話す人間が何人かいるおかげですぐに昔からのチームメイトのようになじむことが出来た。日本とも南米ともまた違う雰囲気があるが、古い建物の多いこのブラガの街もからりとした気候も気に入った。とにかく今は自分のプレーをアピールする日々である。また昨年のように日々の出来事、チームメイトとの事、試合の事などをここで報告できるようになれば良いと思う。