2004/12/17

ACL


 急に寒くなってきているが、幸いにも天気は良い。おかげで、未だに震えながら練習するような事は、殆ど無い。

 さすがに残り3勝という所まで来ると、元旦の天皇杯優勝を意識してくる。世界クラブ選手権の開催に伴って、アジアチャンピオンズリーグに出場する意義が変わり、必然と、天皇杯優勝の付加価値も大きくなった。選手として、アジアを勝ち抜き、世界大会にチャレンジするチャンスが出来た事は、非常な大きな意義がある。それまでワールドカップや年代別の世界大会に限られていた、アウェイを含む世界への舞台が、ようやくアジアの選手にも与えられたからだ。選手だけでなく、ファンやサッカー関係者も、それまで隔離され、独自で急速な発展を遂げてきたJリーグが、高いレベルで世界のサッカーに仲間入りする事を実感できるだろう。

 元旦の決勝戦に自分が出場する事もそうだが、来年開催される、アジアチャンピオンズリーグに大きな注目が集まる事を期待したい。

 写真は、リベルタドーレス杯。ギド・アルバレンガと交代で初めてピッチに立つ。

2004/12/12

名古屋遠征


 今週も先週に引き続き、コンディションを整える事を中心としたトレーニングをこなした。遂に本格的に冬が来たか、と言うような肌寒い日もあったが、天気の良い日が多かったため、震えながら練習するような事は殆ど無くて済んだ。火曜日のU19日本代表との練習試合は、久しぶりに右サイドでの出場。30分間の短い時間ではあったが、慣れたポジションでのプレーは気持ちが良かった。

 ヴェルディでは、輪になってのボール回しが、トレーニング時間の内多くを占める。他チームでは、ウォーミングアップや遊びに過ぎないこのトレーニングだが、ヴェルディでは非常にレベルが高く、負荷の高い練習になっている。試合で見られるヴェルディのリズムのあるパスワークはこういった基礎練習の上に成り立っているのだろう。

 天皇杯は名古屋戦に勝ち、来週の長崎での試合に駒を進める事が出来た。アウェイながら、多くのヴェルディサポーターも駆けつけてくれていたのが嬉しい。芝生の状態は良くなかったが、トヨタスタジアムの素晴らしさに息を呑んだ。屋根が可動式で、雨天時に閉じるという事に気が付き、また驚く。

 写真は、昨年のクリスマス前に訪れた、フランスの城塞都市「カルカッソンヌ」、街外れの小さな礼拝堂で。

2004/12/07

ペタンク


 天皇杯の試合までに、中一週を取ることが出来たので、先週の練習はスローペースだった。最終節までの数試合が連戦となり、怪我人が多く出ていた事が理由だろう。週末のオフ前日には、リーグ戦終了の納会と、天皇杯への決起を兼ねた食事会も開かれた。会は始終サッカーの話で盛り上がり、いつまでも尽きる事がなかった。

 写真は南フランスでポピュラーな、「ペタンク」と言うボールを使ったスポーツ。休日には、あちこちの公園や空き地に人々が集りプレーしていた。かなり白熱する。

2004/11/29

リーグ戦終了


 日曜日に、セカンドステージは最終節を迎えた。8月にヴェルディにやってきてから3ヶ月、監督の信頼を得る事が出来ず悔しい思いをした。初戦の新潟戦で、大勢のファンから声援をもらい、練習場でも毎日のように応援してもらっていただけに、試合に多く出場できなかったのは残念だ。

 ヴェルディはJリーグでも数少ない、色のあるサッカーを出来る好チームだと思う。少しの休みを挟んで、天皇杯で少しでも多くの試合に出場し、そして頂上まで勝ち続けられるように、練習から調子を上げていきたい。

 マリノス戦の試合後は、スタジアムのレセプションホールで行われていた、ヴェルディのOB会に顔を出した。その後、翌日にチームを離れブラジルに戻ることになった、ウーゴのささやかな送別会へ。選手とスタッフ数人が集まり、慣れない日本での生活の事やシーズン中の出来事などを振り返った。会は、互いの健康と幸運を祈りお開きになり、それぞれ別れを告げた。30時間近くをかけた後、ウーゴは真夏のリオデジャネイロで、久しぶりの家族と共にいるだろう。

 今日は休日。写真は、近所の河川敷へ通じる抜け道で。

2004/09/24

大阪遠征


 ガンバ戦は出場のチャンスは無かったものの、前節名古屋戦に続く連勝。チームは良い雰囲気でその日のうちに新幹線で東京に戻った。移動やベンチスタートの試合が多くあり難しいところもあるが、今はとにかく、自分のコンディションを早く100パーセントに持っていく事が目標だ。

 引越しを終えてほぼ3週間が経っている。何も無い状況からの引越しだったので、家具や家電などは住みながら少しずつ揃えて来た。手違いもあり数日をベッド無しで過ごした事もあったが、ここにきて漸く落ち着ける部屋が出来上がった。足りない物もまだ幾つかあるが、急を要するものではないので、今後は楽しみながら選んでいける。日本では、千葉を出て生活するのは初めてなので、クラブや新しい家の周辺の急な坂のある街並みは新鮮だ。特に、練習場のある「よみうりランド」から見える、都内を一望できる景観には素晴らしい。

 引越しとその後のごたごたで、近況を語れるような写真は全く無いのだが、開幕したスペインリーグにちなみ、春

2004/08/25

検疫終了


 試合前日は試合に備えてチームでホテルに宿泊する。他の選手にとっては週に一度のホテル生活も、自分にとっては部屋が変わるだけである。悪夢のようなレッズ戦の後は、気分を変えるためにも、いつものホテルへではなく、アクアラインを通って袖ヶ浦の実家へ戻った。

 家にはその日、成田での2週間の検疫を終えて帰宅したパブロが待っていた。体重がぎりぎり5キロ以下だったので、帰国時に機内持ち込みでモンペリエから連れて帰っていたのだ。写真はその時のもの。食が細り痩せてしまうと聞いていたので、多少心配していた厩舎での生活も、以前より太って帰って来たのを見ると、まあ無事だったようで一安心。あちこちと回り、犬用品を一揃いそろえている内に、つかの間の休日は終わった。夕食後に再びアクアラインを通り、ホテルへと戻った。

 水曜日から練習開始が1時間遅くなり、10時からになっている。練習後の昼食のタイミングも良いし、朝に余裕が出来るので、変更は歓迎している。

2004/08/17

ホテル暮らし


 ヴェルディに入団して7日、現在のホテルには8日目ということになる。契約前日のメディカルチェックの後から滞在しているのだが、今までのいろいろな国への到着直後のホテル暮らしに比べて、あまりにも快適なので助かっている。

 食事は隣接するショッピングセンターへ行けば何でもそろっているし、ホテル内にも和洋中とそろっている。本を読みたければ本屋、映画を見たければレンタルショップや映画館など、暇を持て余す事はありえない。ホテルのサービスも快適であるし自分の車もある。

 移籍直後の慌しい状況に加え、住む場所を探したり、行政やサービスの諸手続きなどで忙しい身には、余分な苦労が無いのは助かる。ただ、あまりに便利でサービスの行き届いた暮らしに、今後生活が落ち着いた時の必要以上に便利な生活を想像して不安にさえなる。サッカーに対しての研ぎ澄まされた状態を維持するために、大きな努力と強い意志を持ち続けて行きたい。

2004/08/12

東京ヴェルディ


 帰国は急遽決まったから、散々世話になった知人や友人に満足に礼や別れを伝える暇も無かった。新しい場所へ行く時はいつもそうだ。名残惜しかったからこそ、いままで住んだどの街にも、必ずまた行こうと思える。美しくて、ワインが美味く、山と海に囲まれた本当に本当に美しいモンぺリエの街ともしばらくはお別れだ。

 さて、昨日から東京ヴェルディに合流している。10日近くチーム練習から離れていた事は心配しなかったが、練習での暑さには閉口する。日本に来て、自分と太陽との距離が近づいたかのようだ。時差ぼけはすぐに取れたが、まずは暑さになれなければ、このままでは普段の生活もままならない。

 ヴェルディでのスタートは、自分にとって仕切り直しになる。勝手の知ったJリーグとは言え、新しい場所での生活や新しいチームでのプレーは、自分に必要不可欠な緊張感を与えてくれるだろう。開幕まで時間はないが、出来るだけの事をして良いスタートを切りたいと思う。

 新たにチームへと迎え入れてくれた東京ヴェルディ、いつも自分を支えてくれている仲間、そしてヴェルディでの新たな活躍を期待してくれているファンの人々に感謝したい。

2004/08/02

クレール・フォンテーヌ


 水曜日は、ヴィシィから電車とバスで約6時間の移動を経て、フランスリーグ2部のラヴァルと練習試合があった。

 その夜は、クレール・フォンテーヌのナショナルフットボールセンターに宿泊して、翌朝の疲労回復トレーニングの後、またヴィシィに戻ったのだが、クレール・フォンテーヌの環境の素晴らしさ、そして宿泊施設と木々の緑の美しさに目を奪われた。フランス代表専用の趣のある石造りの宿舎や、同じく石造りのメディカルセンターなど、まるでどこかの名のある領主の敷地に入り込んでしまったかのようだった。

 フランス代表の歴史を写真で見ることの出来る小さなカフェや、ワールドカップのジュール・リメ杯の巨大なレプリカなどもあり、ファンにも楽しめるようになっている。写真はフランス代表チーム専用のレジデンス。

2004/07/28

ヴィシィ


 トレーニングの場所を、避暑地として観光客の賑わうヴィシィと言う街に移している。練習場のある総合スポーツ施設は広大で、夏のバカンスを過ごす多くの人々が、思い思いにスポーツを楽しんでいる。ここのグラウンドも本当に素晴らしい。

 キャンプでは、正に一つのチームのような体制をとっていて、ユニフォームのみでなく移動用のウェアなども選手には配られる。選手の入れ替わりも頻繁ではあるが、最長一ヶ月を共に過ごす仲間たちは既に打ち解けていて、練習も試合も大いに盛り上がっている。 思えばパラグアイでも、私設ではあったが同じようなチームに合流していた。パラグアイでは、車を持っていない選手をピックアップの荷台に載せて練習へと送迎してあげたり、グラウンドに傾斜や大きな穴があったりと色々と不自由もある中でのトレーニングだったが、選手のモチベーションは異常ともいえるほど高く、得るものは多かった。どちらのチームも目的や雰囲気は良く似ている。

 また昨年ポルトガルでは、3部から2部に昇格したばかりのチームでシーズン前キャンプに参加させてもらったが、このチームも実は似たような部分を持っていた。もともと選手は、ほぼ全員が同じ代理人と契約していて、当初3部リーグ所属のチームに集められていた。3部リーグで選手を活躍させて、更に大きなチームへ移籍をさせると言うのが、チームとそのチームフロントとも関係の深い代理人の狙いだった。しかしその後、チームは1年後に2部昇格、そして続く昨シーズンにはシーズン開始からの逃げ切りで優勝を果たし1部に昇格する。選手に買い手が付いた事に疑いは無いが、チーム自体も大きな飛躍を遂げたのだ。

 UNFPの合宿に合流してから初めてのゲームとなった練習試合では、3部のニームを相手に自分のアシストを含む2-1の勝利。今週中に更に2試合をこなす予定だ。 

2004/07/25

サンテティエンヌ


 UNFP(プロサッカー選手協会)主催のトレーニングキャンプに参加している。 モンペリエで所用が残っていた事もあり、地元のクラブでトレーニングを続けていたのだが、その後タイミングが合い、このキャンプに合流した。
 7月頭からクレール・フォンテーヌのナショナルトレーニングセンターでスタートしているこのキャンプは、契約を待つ選手が、チームが決まるまでトレーニングを積めるようにとオーガナイズされたものである。プロのコーチやスタッフと共に、フィジカルトレーニングやフランスリーグのチームとの練習試合等をこなして行く。その対戦をきっかけに契約が決まるケースも多いと言う。
 参加してみて驚いたのはその環境の良さだ。サンテティエンヌのスポーツセンターでの練習から合流したのだが、8面有るグラウンドは皆素晴らしく、ホテル並の宿泊施設も完備している。費用はすべてUNFPが支払い、選手が負担したのはシーズン中に支払った会員費のみである。その多くない会員費も、半額はゲームソフトやトレーディングカード等の肖像権料として選手に還元されている。続報はまた後日。
 写真はサンテティエンヌの練習場。ピッチには「エメ・ジャケ」の名が付けられている。

2004/07/20

路上メッセージ


 ツール・ド・フランスがついにモンペリエにやって来た。コースは毎年変更されるのだが、モンペリエを通るのは10年近く振りだという。

 自転車の集団は、かなりの速度を出して通過するため、実際に選手たちを見られるのは、ほんの十数秒。だが、人々は早くからコース沿いに陣取り、選手たちより1時間ほど前からコースをたどるキャラバンの商列に歓声をあげるのだ。キャラバンとは、ツアーのスポンサーが各企業の宣伝カーを作り、それぞれのキャンペーングッズをコース沿いに撒き散らして走る隊列である。スーパーマーケットの名前の入った帽子や、消しゴム、お菓子やコーヒーから玩具まで、かなりの数がばら撒かれる。大人も子供も大声をあげてキャラバンにアピールし、両手にいっぱいのお土産を持って帰っていた。

 ツアーが通る道にはあちこちに、選手への応援やテレビを見ている知人へのメッセージなどが、ペンキで書き込まれていた。知り合いたちも、南米のフランス統治領ギアナに住む親戚たちへメッセージを送ったという。果たして伝わったのか。詳しくはTour de Franceで。

2004/07/17

映画祭


 南仏は、この季節になると毎週末が、なにかしらのフェスティバルである。地域、または町単位のものから、数家族単位の規模のものまで色々名目はあるが、とにかく週末はイベントが目白押しだ。学生は6月中頃から休みに入っているし、大抵の人は夏のバカンスとして3~4週間の休みを取っているので、とにかく時間がある。

 夏には、家の手入れや家族旅行など、思う存分したい事をして、冬には1週間ほどのスキー旅行、さらには春にも1週間ほどの休みを取るという。まるで子供の時の夏休みのように、思い切りバカンスを楽しんでいる。ずるい気もしなくは無いが、ここにいると、ごく当然な事に思えてくるから不思議だ。写真は今夜、近所で開かれていた路上映画祭。

2004/07/12

ツール・ド・フランス


 欧州選手権の決勝と同日に、世界最大の自転車イベントであるツール・ド・フランスがスタートしている。自転車競技を愛する人は多く、実際に時間を作っては、自分の自転車でツーリングする人がたくさんいる。知り合いの家に行くと大抵は自分のツーリング用自転車を持っている。

 連日のテレビで中継で、延々と続く田園風景や街中を走り抜ける自転車の群を見ていると、正月の駅伝中継に良く似ている気がした。ツアーは、来週の日曜日にモンペリエを通るという。

 モンペリエの街は、すっかり観光シーズンに突入していて、カフェには暑さを凌ぐための霧吹きタイプの扇風機が見られるようになった。

2004/07/03

テレビ観戦


 フランス代表を破ったため、自分の周りで顰蹙を買っていたギリシャ代表が、見事決勝進出を決めた。フランス代表が負けてから、代わりに人気が急上昇していたチェコを破ってのものなので、決勝戦ではさらに野次が飛ぶだろう。良いチームなのに。守りが堅いのが憎たらしいのか。

 今まで、仲間内ではあまり人気のなかったポルトガルを一人で応援していたが、決勝戦は皆でポルトガルを応援する事になりそうだ。(写真はフランス対ギリシャ)

2004/06/27

牡蠣養殖場へ


 知り合い10数人で、メズの牡蠣養殖場へ遊びに行く。午前中は、メズで古い小学校を買って住んでいると言う知人の家で、早速牡蠣を開いて昼食の準備。牡蠣やムール貝を大量に準備して、海老や魚の料理と共に午後4時過ぎまでのんびり食事を楽しんだ。

 その後、養殖場のある潟湖へ移動して小さなボートに皆で乗り込む。詳しくは別ページにて見てもらうとして、この即席見学会では、フランス人たちの質問の多さに驚く。食に興味があるから、牡蠣やウニなどについて尋ねるのか、それとも何か質問しないと気がすまないのか、とにかく皆真剣に話を聞いていた。

 塩湖で塩まみれになって帰ってくると、今度は家のプールで泳いだり飲んだり話したりだらだらする事数時間。欧州選手権の試合にあわせて夕食を取った。朝から集まって解散は試合終了約1時間後の0時だった。

 週末ごとに何やらと理由を作って集まる南仏の人々。文化や趣味の対象は全く違うが、時間の流れ方はパラグアイの週末と良く似ている。

2004/06/25

TGVの車窓から


 所用でパリへ。モンペリエからTGVに乗り約3時間半。モンペリエには空港もあるので飛行機でも行けるのだが、待ち時間やパリに着いてからの事を考えると、圧倒的に電車の方が快適である。今回は一等車を利用したが、3時間程度の旅ならば、いろいろな人種が様々な目的でパリへ上る様子がかいま見られる二等車の方が好きだ。二等車もおよそ快適であるし、モンペリエよりもさらに南のペルピニャンやスペインからパリを目指す人が多いので、スペイン語での会話も聞こえてくる。抱えている荷物もやたらとでかく時に通路は塞がれる事もある。

 窓から見える景色は、パリに着くまでほとんど変わらず、ただひたすら美しい田園風景が続いている。プロヴァンスやラングドック地方で一面に広がっていた葡萄畑が途中から他の作物や牧草地に変わるくらいである。それにしても国土が広い(人口比)のは羨ましい限り。1泊してまたモンペリエへ戻った。

2004/06/21

音楽祭2


 今日は街の音楽祭。よく行く近所のレストランでも夜に備えて準備中だった。コーヒーをサービスしてもらうかわりに風船を全部膨らませた。夜のパーティーに誘われたが、フランス代表の予選突破をかけたスイス戦があるので止む得ず断る。試合は3-1でフランスの勝利。知人の家で若い友人達とテレビを囲んだが、グループリーグの3試合でフランすらしさが見れたのは最後の15分のみだと言う。それにしてもグループリーグとは言え大会本番で自国の試合をこんなに余裕を持って観戦する国は初めてだ。

2004/06/19

ブログへの移転


97年から続いていたホームページでしたが、使用していたサービスの停止に伴い、このblogへ移転をしました。
今後もぼちぼちと更新。

音楽祭


 昼から知人の家で昼食。夜は8時半から近くの町の音楽祭へ行く。本来の街の音楽祭より2日早く開かれるサントネスの町。音楽祭と言っても歌うグループの親戚や近所の人が皆で出された夕食を囲みながらののんびりとしたもの。小さい子供達もギターや独唱で日ごろの成果を見せていた。
写真は友達と(ギター担当)

2004/06/12

ギャラリー2


 渋谷のギャラリー2でミズノ協賛のサイン会に参加。急な告知にもかかわらず、多くの人に来てもらった。質疑応答やリフティングボールでのチャレンジなど。お土産にフットサル用のTシャツを頂いた。

2004/06/09

岡山へ


 祖父母へ会いに新幹線で岡山へ。本当に久しぶりだったのだが、父親の墓参りと親戚の見舞いも兼ねれたので、行く事が出来て良かった。今まではなんとも感じた事は無かったが、ジャングルのような南米の景色や南仏の田園風景を知りそして気に入った自分には、岡山の田舎の風景はなんとも美しく感じた。木の生い茂った山々や重く光る瓦を屋根に持つ古い家や蔵は、自分の生まれ育った千葉ではあまり見かけないものだった。

 おばあちゃんが作って出してくれた「おはぎ」が美味かった。

2004/05/30

パリ


 日本に戻る前にパリで1泊。飛行機が23過ぎだったので、初めてパリの街を歩いた。ホテルから近かったこともあり、何はともあれ長年行きたいと思っていたペール・ラシェーズ墓地へ。ジム・モリソンの眠るこの墓地には多くの人が訪れていた。

2004/05/28

フランス対アンドラ


 運良く日本への出発前に、モンペリエでフランス代表対アンドラの親善試合があった。モンペリエの町ほどの大きさの国アンドラとの対戦とは言え、大事なユーロへの準備である。ジダンやアンリは出場しなかったため、最後まで「ジズー」コールが鳴り止まなかったが、十分楽しめた。試合は4-0でフランス勝利。アンドラにもあわやの場面も。

2004/03/31

サマータイム


 週末にサマータイムへの時間変更が行われ、南仏のモンペリエは一気に観光シーズンへと 入っていく。 夜の8時半頃まで陽が射すようになる街にはヨーロッパやフランス中からやってくる 観光客に 徐々に埋め尽くされていくだろう。暖かくなるのと共に最近は休日を利用して歴史のある古い街や、 近場の山や渓谷などに足を伸ばすようになった。 日本ではあまり知られていないのかも知れないが、 何処も素敵なところばかりである。

 チームは13ものゲームを苦しんだ末にオセール戦で久々の勝ち点3を手に入れた。
この試合に出場することは出来なかったが若手中心のチームに切り替えてからの3試合は結果がぎりぎりの所で伴わないものの、内容は良くなっている。 結果につながる後一押しの部分を自分が補えればと思う。やれる手応えはあるのにチャンスに辿りつけないのはしんどいけれども、痺れを切らさずにアピールし続けなければならない。シーズンは残り2ヶ月になった。

2004/01/01

新年モンペリエより


 友人宅で数ファミリーが集まっての年越しパーティーにまざり新年を迎えた。元旦も午後から練習があるため、最後まで付き合うことは出来無かったが、各ファミリーそれぞれが腕を振るって持ち寄った料理を皆でつついて2003年最後の夕食を楽しんだ。皆からのリクエストもあり近所の寿司バーから差し入れした寿司弁当もおおむね好評だったようだ。

 モンペリエに来てから5ヶ月が経ち、シーズンの折り返し地点にいる。序盤戦で手応え感じたものの、怪我からの復帰後はなかなかチャンスを与えられない状況にある。良いときも悪いときもそれなりにきちんとボールを繋ぎ、連携から意図のあるプレーをするフランスのサッカーは自分にはあっていると思うだけに試合に出られないのは悔しい。

 トップの試合にベンチ入りしないメンバーで、ほぼ毎週行われるCFAリーグに出場しているのだが昨年最後の2試合では得点・アシストと結果が出ているので、さらに日々の練習で好調さをアピールしていきたい。

 6日間のクリスマス休暇では城塞都市カルカッソンヌを見て周ったり、醤油持参で牡蠣養殖の街メズに行き新鮮な生牡蠣をご馳走してもらったりと良いリフレッシュも出来た。いずれもモンペリエから車で行ける範囲にあり、改めてここモンペリエ周辺の地域を気に入った。南仏地方は先月稀に見る大雨でスタジアムがプールになってしまうほどの被害を被ったが、基本的に南仏の冬はカラッとした晴天の日が多くて過ごしやすいので助かる。ポルトガルの冬のように毎日泥だらけになって練習しなくて良いし何よりも練習の能率も下がらないで済む。グラウンドの土が軟らかいのは相変わらずだがさすがに慣れた。この後もう少し気温が下がることはあるそうだが、寒さに凍えてグラウンドに出て行く事はなさそうだ。