2001/08/23

7ヶ月

 昨年最後の試合となった天皇杯準々決勝。JEF市原は清水に敗れ2000年のシーズンは終わった。初戦、2戦目と先発していたがこの試合はサブ。しかしプレー自体は怪我から復帰してから一番体がキレていて
その感覚は4月に怪我をする前のものまで戻っていた。ここでシーズンが終わってしまうのはもったいないと思えるほどだった。相手に敗れた悔しさ、復帰後のシーズン終盤で思うようにチームの力になることが出来なかった悔しさを感じながらサポーターへの挨拶へ向かう途中の事。
 当時清水のミッドフィルダーでこの試合にもフル出場していたサントスが一人市原の応援席側のほうまで歩いてきて自分を捕まえ日本語でこう言ってくれた。
 「どうしてあなたはサブだったんだ。あなたはもっとやれるよ、今日だって素晴らしかったじゃないか」 涙が出そうなほど嬉しかった。自分が半年間怪我で苦しんでやっとの思いでたどり着いたと思えたその感覚はをその一言で確実な物になった。たった一言、けれども彼のその言葉は自分の背中をポンと押してくれた。今思うとそんな気がする。

2001/08/09

4連戦


 アウェイでの試合が終わりセロへバスで帰る道のり。4輪駆動のパトカーと白バイ数台に誘導され、赤信号や渋滞にかまわずセロまでの道を猛スピードで突き進んでいく。下手な救急車なんかよりよほど早く目的地まで着けるだろう。けたたましいサイレンで近所の住民はセロのバスが通って行くのを知り、皆が道路まで顔を出し
声援を送ってくれる。窓から手を振る人、車から身を乗り出す人、皆がいつもの事のようにバスを見送ってくれる。
ひどい内容の試合の時は危険を避けるためにカーテンをすべて閉じてしまうこともあるがそんな事は稀だ。アウェイの地でプレーをし勝ち点を得てバスに乗る。セロに着くまでにまた次の試合への意欲が湧いてきて、体の疲れも心地良いものに変わってしまう。

 後期開幕戦の対リベルタの試合はスタメンで出場し調子自体良かったものの翌々日に控えたメルコスール杯に備えるために後半10分ほどで交代。1-1の引き分けに終わった。先週の月曜日から約10日間のコンセイトレイションが続くことになり、いい加減セロでのご飯にも飽きてきたが体と気持ちが1試合1試合に集中していくのを感じる。

 メルコスールホーム初戦となる対カトリカ戦は2-0の勝利。久しぶりにノーマルな右サイドで出場したが、90分集中を切らさずにプレーすることが出来たと思う。リーグの開幕戦から1日しか空かなかったためさすがに終盤は少し疲れたがどうしてもとりこぼせない勝ち点3を得る事が出来て良かった。

 来週は代表の南米予選対ブラジル戦があるため久しぶりにOFFもあるはずなので金曜日のサンロレンソ戦にも勝ち良い状態でこの10日間の4連戦を締めくくりたい。

2001/08/03

ボンボネーラ

 セロ・ポルテーニョとの5ヶ月間の契約延長が決まった。チームは現在メルコスールカップを戦っている最中で今残ったとう事は大きなチャンスだと思う。初戦のボカやヴァスコなど強豪とのホームアンドアウェイは凄く楽しみだし勝ち抜けばさらにチャンスは増える。リーグ戦も後期優勝を果たし完全優勝を達成しなくてはならない。

 市原に戻るという選択肢もあったが、いろいろなシチュエーションを考えた末にチームには海外でプレーを続ける事を希望すると伝えていた。市原のユニフォームを着て5年間120試合以上を戦ってきた事を自分の拠り所として
常に全力でやって来た訳だが、まだまだもっとやれると思う。日本で応援してくれている人達の前でプレーできないことは残念だが、こちらでの活躍でそれに答えるしかない。

 いろいろな人に助けられてこっちに来て、ここではまたいろいろな人に助けられ励まされサッカーをして、そんな中でチームメイトとレギュラー争いをしながら試合を戦う。手を抜ける瞬間は無いし、日々全力を尽くすだけ。それだけが今やれる事だ。

 ボカ戦は途中出場で0-0の引き分けに終わったがアウェーでの大会初戦ということを考えるとまずまずの結果だったといえる。次節ホームでのチリ・カトリカ戦は負けられない。