2001/12/18

帰国

 本格的な夏が始まっているパラグアイについに別れを告げ地球の裏側、真冬の日本に向かっている。サンパウロ、ニューヨークでのトランジットではいつも2・3時間ずつ待たされるので文章を書くのにちょうど良い。

 完全優勝のおかげで最後の1ヶ月はリーグ戦終了後の2週間のオフとその後2週間のトレーニングをこちらで過ごしゆっくり南米のパラダイス、パラグアイを味わった。選手主催のアサードでは午前練習の後の午後いっぱいを使って皆でプールやビーチバレーで遊んだり日陰で集まってカードをしたりのんびりと過ごした。パラグアイにはこうした週末をゆっくり仲間で過ごすための施設が数多くあり安い値段で利用できるので、金土日曜日はあちこちで夜中までのパーティーを見かけることが出来る。

 パラグアイを去る際に全ての友人そしてチーム関係者に1年間分のお礼と別れを告げて、自分がいかに彼らに助けられてやってきたかを再確認した。彼らのエネルギッシュな陽気さと自分をいつも家族の一員のように受け入れてくれた懐の深さに心から感謝している。彼らのような温かい人間でありたいと思う。

2001/12/04

クリスマス


 グアラニとの後期リーグ決勝戦をPK戦の末に制し、年間チャンピオンのタイトルを獲得してから早くも2週間がたった。セロの優勝に沸くセリスタのお祭り騒ぎもようやく落ち着き街は早くも真夏のクリスマスを迎える準備に入っている。キリストの誕生の瞬間を再現するための17体セットの人形が街のあちこちで売られているのだが、クリスマスを過ごすのに欠かせないこの人形を買うために、先日メキシコから帰ってきたフーリオと車で買い物に行って来た。

 車を2時間ほど田舎町の方へ走らせると突然道路沿いにずらりと表れる人形屋。手のひら大の小さなものからそれぞれ1メートルほどある大きなものまで様々な人形を並べた店が何10軒も連なっている。一通り全てのお店を見て回った後で、「そんなでかいの何処に置くんだ?」というような大きい人形17体を買い車2台に詰め込んで再びアスンシオンへの向かった。約4ヶ月ぶりのフーリオとの再開は忙しかったものの楽しい1日となった。

2001/10/30

リオ

 メルコスールカップ一次リーグ最終戦を戦うためにリオ・デ・ジャネイロを訪れた。国際試合の場合は試合2日前には現地入りするため試合前日にはスタジアムで練習することも出来る。そのスタジアムでの前日練習へ向かいバスで高速道路を走っていた時の事。

 宿泊中のホテルからコパカバナの美しいビーチやボタフォゴ、フルミネンセなどのスタジアムのそばを通りぬけて市街地をしばらく走るとまたスタジアムのような大きな観客席がいくつも見えてきた。でも片側だけ。要するにメインスタンドのような部分だけあり対面側やゴール裏にあたる位置には何も無くて、このメインスタンド部分だけがいくつも並んでいるのだ。80メートルほどのものがあったり30メートルほどのものがあったりで不規則な間隔で並んでいる。そのスタンドの前には2,30メートル程のスペースがあるものの特にこれと言ったラインやしるしは無いしその先にはすぐに工場やビルが並んでいるため何かスポーツが出来るような物でもない。

 どう考えても何に使うものなの思いつかず、チームメイトに聞いてみると、「リオ・のカーニバルを知らないのか?」と言って教えてくれた。なるほどそうか。

 パラグアイ、アルゼンチンの両サン・ロレンソとのホームアンドアウェイの戦いはアウェイでの初戦を共に落とし苦しい状況であるが何とか勝ち抜けたい。

2001/09/14

デフェンソールス・デル・チャコ


 ボカとの試合は2-1の逆転勝利。リーグ最終戦がブラジルでのバスコとのゲームである事を考えるとどうしても落とせなかった勝ち点3を獲得できたと言える。各組1位と各組の2位の内上位3チーム、計8チームによる決勝トーナメントなのでこれで大分有利にはなったはずだが、自分にとっては予選突破が決まっていようがいまいが関係なくバスコ戦に出場してアピールしなければならない。

 国内リーグは現在5勝1分けのトップ、次節はクラシコとなるオリンピアとの対戦だ。リーグ戦で不調のオリンピアはセロに勝つ事のみがファンに対し面目躍如となるので、ここぞとばかりに必死になってやってくるだろう。それはセロの選手・ファンにとっても同じでいくら首位だろうがメルコスールで調子がよかろうがオリンピアに負ければ気分は台無しなのだ。ちなみに前期の対戦では1‐1のドローだった。試合はボカ戦以上の熱気に包まれるだろう。

 試合後の揉め事や危険を回避するため、キックオフは日曜日16時に変更された。ナイターの試合の後は危険が多すぎるのだ。

2001/09/03

テレレ


 8月はリーグ戦・メルコスール杯併せて9試合の強行日程。若さを買われてか全試合出場したわけだが、とにかく遠征続きの1ヶ月だった。これだけあちこち連れて行かれ外泊が続くともはや自分が旅芸人ならぬ旅サッカー選手のような気がしてきてなんだか楽しく過ごせてしまう。

 バス、飛行機での超距離移動もセロの仲間は苦にしない。必ず誰かが持ってくる南米のお茶テレレのセット(水を持ち運ぶテルモとワンパと呼ばれるコップ)があれば自然と皆が集まり1つのテレレセットで回し飲みしながら話し合う。飛行機の中でもバスの中でも狭い所に次から次へと集まってきてしまう。それはパラグアイの街中で見られる光景だ。ちなみに自分も自分の名前の入ったテレレセットをもっている。

 初の敗戦となったチリでのメルコスール杯カトリカ戦は気温5度の寒い中行われた。水を含んだグランドは柔らかくまともにプレー出来るような状態ではなかった事に加え前半での味方の退場、疲労の残る試合となった。その翌々日にはアスンシオンで国内リーグ戦をこなしセロ・コラに4-1の勝利。猛暑の中全員が疲労困憊で臨んだ試合だったがセロの底力を見せつけた。

 パラグアイはこれからまた暑くなるということだが、1試合ずつ結果を残しチームの躍進に貢献していきたい。

2001/08/23

7ヶ月

 昨年最後の試合となった天皇杯準々決勝。JEF市原は清水に敗れ2000年のシーズンは終わった。初戦、2戦目と先発していたがこの試合はサブ。しかしプレー自体は怪我から復帰してから一番体がキレていて
その感覚は4月に怪我をする前のものまで戻っていた。ここでシーズンが終わってしまうのはもったいないと思えるほどだった。相手に敗れた悔しさ、復帰後のシーズン終盤で思うようにチームの力になることが出来なかった悔しさを感じながらサポーターへの挨拶へ向かう途中の事。
 当時清水のミッドフィルダーでこの試合にもフル出場していたサントスが一人市原の応援席側のほうまで歩いてきて自分を捕まえ日本語でこう言ってくれた。
 「どうしてあなたはサブだったんだ。あなたはもっとやれるよ、今日だって素晴らしかったじゃないか」 涙が出そうなほど嬉しかった。自分が半年間怪我で苦しんでやっとの思いでたどり着いたと思えたその感覚はをその一言で確実な物になった。たった一言、けれども彼のその言葉は自分の背中をポンと押してくれた。今思うとそんな気がする。

2001/08/09

4連戦


 アウェイでの試合が終わりセロへバスで帰る道のり。4輪駆動のパトカーと白バイ数台に誘導され、赤信号や渋滞にかまわずセロまでの道を猛スピードで突き進んでいく。下手な救急車なんかよりよほど早く目的地まで着けるだろう。けたたましいサイレンで近所の住民はセロのバスが通って行くのを知り、皆が道路まで顔を出し
声援を送ってくれる。窓から手を振る人、車から身を乗り出す人、皆がいつもの事のようにバスを見送ってくれる。
ひどい内容の試合の時は危険を避けるためにカーテンをすべて閉じてしまうこともあるがそんな事は稀だ。アウェイの地でプレーをし勝ち点を得てバスに乗る。セロに着くまでにまた次の試合への意欲が湧いてきて、体の疲れも心地良いものに変わってしまう。

 後期開幕戦の対リベルタの試合はスタメンで出場し調子自体良かったものの翌々日に控えたメルコスール杯に備えるために後半10分ほどで交代。1-1の引き分けに終わった。先週の月曜日から約10日間のコンセイトレイションが続くことになり、いい加減セロでのご飯にも飽きてきたが体と気持ちが1試合1試合に集中していくのを感じる。

 メルコスールホーム初戦となる対カトリカ戦は2-0の勝利。久しぶりにノーマルな右サイドで出場したが、90分集中を切らさずにプレーすることが出来たと思う。リーグの開幕戦から1日しか空かなかったためさすがに終盤は少し疲れたがどうしてもとりこぼせない勝ち点3を得る事が出来て良かった。

 来週は代表の南米予選対ブラジル戦があるため久しぶりにOFFもあるはずなので金曜日のサンロレンソ戦にも勝ち良い状態でこの10日間の4連戦を締めくくりたい。

2001/08/03

ボンボネーラ

 セロ・ポルテーニョとの5ヶ月間の契約延長が決まった。チームは現在メルコスールカップを戦っている最中で今残ったとう事は大きなチャンスだと思う。初戦のボカやヴァスコなど強豪とのホームアンドアウェイは凄く楽しみだし勝ち抜けばさらにチャンスは増える。リーグ戦も後期優勝を果たし完全優勝を達成しなくてはならない。

 市原に戻るという選択肢もあったが、いろいろなシチュエーションを考えた末にチームには海外でプレーを続ける事を希望すると伝えていた。市原のユニフォームを着て5年間120試合以上を戦ってきた事を自分の拠り所として
常に全力でやって来た訳だが、まだまだもっとやれると思う。日本で応援してくれている人達の前でプレーできないことは残念だが、こちらでの活躍でそれに答えるしかない。

 いろいろな人に助けられてこっちに来て、ここではまたいろいろな人に助けられ励まされサッカーをして、そんな中でチームメイトとレギュラー争いをしながら試合を戦う。手を抜ける瞬間は無いし、日々全力を尽くすだけ。それだけが今やれる事だ。

 ボカ戦は途中出場で0-0の引き分けに終わったがアウェーでの大会初戦ということを考えるとまずまずの結果だったといえる。次節ホームでのチリ・カトリカ戦は負けられない。

2001/07/22

冬休みへ

 寒さとの戦いと書いたはずが、ここのところ暑さとの戦いになっている。日本へ旅発つ前はコートを必要とする寒さだったのに今は半袖短パンでも暑いくらい。またすぐに寒さが戻ってくるらしいのだけれど、どうも調子が狂ってしまう。道端でフルーツを売っている人たちの手には今まで見たことが無かったイチゴがのるようになったので確実に季節は変わっているようだ。

 今週はいろいろな予定が次から次へと変わり、予定されていたブラジルのチームをを含む5日間かけての遠征は直前に中止されて結局シウダデレステへの日帰りの試合だけとなった。もう1日10時間のバス旅行にも驚かない。予定がころころ変わるのは慣れっこだけれど、次の試合が無くなったというのを前日の夜に聞くのはコンディションの面で気を使う。

 試合のほうは格下の相手に2-1の勝利。コパアメリカで代表選手が5人いないのでスタメンをアピールするのに大事な試合だったが、まずまずの出来だったと思う。契約は7月31日までで8月1日のボカ戦は含まれていないが、契約が更新されるのならば絶対に出場したい試合だし、そのチャンスも大きい。この時期は契約が切れる選手も多く急にこなくなる選手や新たにやってくる選手でチーム状況は慌ただしいが、試合が無いなりに良い緊張感が保たれている。

 来週からは代表の5人も戻り、チームはメルコスルカップに突入する。

2001/07/12

帰国


 セロの前期リーグ優勝とキリンカップでの帰国、そして束の間のオフはあっという間に過ぎていき再びパラグアイへ帰ってきた。半年という短い期間だったのでそれほど久しぶりには感じなかったが、改めていかにパラグアイでのんびりといろいろなギャップの中で生活していた事を思った。友人や家族とも会うことが出来て、短いなりに日本での滞在をエンジョイしたが、市原のチームにはタイミングが合わず顔を出すことは出来なかった。しかしこの間にあった札幌での試合もVゴール勝ちと連勝中。自分も負けられないと思ったのと同時に凄く励まされた。

 パラグアイとユーゴスラビアとの試合に出られなかった事は残念だったが、こればかりは今更何を言ってもしょうがない。代表で試合に出るためのスタートを切れた事は確かだと思うし、短い合宿と練習で得るものもあった。今回の日本代表入りに関して、高校を卒業してプロの世界に入り約5年半支えて応援してきてくれた多くの人たちに感謝したい。

 パラグアイではすぐにまたアピールの日々が始まる。南米No1を決めるもう一つの大会「メルコスルカップ」と後期リーグが始まるが、特にメルコスルカップは所初戦が南米王者ボカとアウェイでその後もヴァスコやチリのチームとの予選リーグが控えていてリベルタドーレス同様最高の舞台だと思える。セロとの契約は7月31日までなのでその後のことはまだ未確定だがとりあえずボカとの初戦に照準を合わせ、そこで結果を残したい。

 そして一つ一つ結果を残し積み重ねてまた次のステップを踏まなければならない。まずは時差ボケと寒さと戦いながらのコンディション調整だ。

2001/06/20

決勝戦

 準決勝のリベルタ戦は1-0、2-1で勝ち抜きついにセロは前期のリーグチャンピオンを決める決勝戦まで駒を進めた。アウェイの第2戦には後半10分から出場する事が出来たので、ひたすら走りボールを受けた。右サイドに入ったものの退場者が出てすぐに左サイドへ、最近は左でのプレーも要求されるが、今は出られればどこでもやる。決勝戦でプレーするためにもアピールが必要だった。

 土曜日の決勝戦のために木曜日からコンセントレーションに入ったが、ルケーニョやリベルタはここ数週間ずっとコンセントレーションしているらしい。ホームとはいえセロから300キロ離れたシウダデレステにはホームの利は無いが、ルケのスタジアムでのアウェイ戦を考えると2-0以上の勝利が優勝への条件だった。内容はあまり良くないもののPKとゲーム終盤の2ゴールで3-0の勝利。3点目のアシストの際に膝をスパイクされて試合後に数針縫う事になったが、次の日曜日は問題無いだろう。優勝へ向けて良い状況でアウェイに乗り込める。なんとしてでもセロでチャンピオンになりたいし残る1試合で活躍して結果を残したい。

 試合後のアスンシオンへのバスは毎度の事ながら、飲めや歌えの大騒ぎでとても眠るどころでは無い。大事な勝利の後はバスにながれている映画もそっちのけで数時間を騒ぎまくる。それだけ皆で試合に気持ちを持って行っていた訳だし皆で勝利を分かち合いたいのだと思う。それでも眠い人は眠い。

 半そで短パンだった先週から、今週はセーターにコートの冬の季節がパラグアイにやって来た。

2001/05/29

クルスアスル戦


 国内のリーグ戦に先駆けて始まったコパリベルタドーレスは決勝トーナメントの1回戦でメキシコのクルスアスルに敗れて終わった。リーグ戦の合間を縫うようにチリ・ペルー・ブラジルとのホームアンドアウェーをこなし週2試合のペースでメキシコでのクルスアスル戦まで駆け抜けてきたが遂にセロは負けてしまった。

 メキシコシティーでは自分にとって初めて標高の高いところでの(といってもラパスやキトに比べたら大した事は無いらしい)試合だったが、想像以上に疲労に苦しんでしまった。前半の内に退場者を出してしまう苦しい試合展開に加え標高になれないセロは厳しいゲームを強いられていた。

 現在は国内リーグ戦上位8チームによる決勝トーナメントが行われている最中である。初戦のグアラニを2-0・1-2のトータル4-3で勝利し、準決勝はリベルタと。国内リーグは来期のコパリベルタドーレス出場権がかかっている事もあり、さすがに決勝トーナメントはどのチームも目の色を変えて戦ってくるのでグアラニとの試合もタフなものになった。2試合共出場するチャンスは無かったが次のリベルタ戦の前に代表の南米予選が入っているためその時間を使いアピールし、次のチャンスを勝ち取りたい。

 セロの選手同士名前を呼ぶ時はたいていあだ名なのだがそのあだ名が単純で面白い。自分も初めの頃はあだ名をつけてやると言われていたのだがどうしても嫌だったので必死にヒロだとかノゾミだとか呼ぶようにアピールをしていた。何故かと言うとそのあだ名と言うのが例えば、
・ガリョ→ニワトリ
・カイ→さる
・ペチョ→胸
・ボピ→吸血鬼
・パト→アヒル
・ぺラド→はげ
・ネグロ→黒
・トロ→牡牛
などなど・・・ヒロで良かった。

 今週は南米予選を観戦予定。

2001/05/16

グアダラハラ

 試合が続いている。2週前の土曜日から、クラシックゲームのオリンピア、サンパウロでのパルメイラス、帰ってきてすぐにリーグ戦のドセデオクトブレ、ホームでのクルスアスル戦、一日あいてリーグ戦のルケーニョ、そして翌日にアスンシオンを発って現在はメキシコのグアダラハラで明日のクルスアスル戦に向けて合宿中である。 アスンシオンからサンパウロ・ダラス経由の20時間あまりの移動だった。試合当日の朝にはスタジアムのあるニューメキシコに飛行機で移動するので慌しいが、なんとしてでもクルスアスルを倒して良い気分で帰りの旅路につきたい。

 この2週間たて続きの試合とセロやホテルでのコンセントレイションとで自分の時間はほとんど無くあっという間に過ぎていった。厳しい試合が多く、チームとしても個人としても本当に全力で各試合をこなしている気がする。これからは、国内リーグもリベルタドーレスもホームアンドアウェイのトーナメントになるので1試合も一瞬も気の抜けない試合が続く事になる。特に自分にとっては契約期間内に1試合でも多くの試合をしたいので、負けるわけには行かないし負けてしまったら終わりだ。

 そんな中行われたドセデオクトブレ戦。試合前にお祝いだと言って皆にハッピーバースデーの歌を歌いながら袋叩きにされたが、自分にとって初のバースデーゲームとなった試合に勝てた事は嬉しかった。その後はささやかな食事会。

 メキシコシティーの標高は2300mほどある。それに加えて1点ビハインドの相手はホームで必死にくる事だろう。明日の試合も厳しいものになるのは確実だが、チーム、個人共にしっかり結果を残してベスト8へ進みたい。

2001/04/27

スーパークラシック

 先週は一週間ゆっくり過ごせたはず、慌しい1週間になっていた。水曜日にサブ組中心のメンバーでバスで2時間かけて遠征し、パラグアイU-20と対戦。翌日木曜日は昼に集合して今度はレギュラー組でバスで5時間のシウダ・デ・レステへ遠征。金曜日に試合をして帰るはずが、雨で客が入らないかもという理由で試合1時間前に急遽翌日に延期されてホテルにもう一泊。フランコ大統領のセロポルテーニョと2月3日スタジアムで試合を行った。

 はじめは何の事だか分からなかったけれど、プレジデンテ・フランコという市があってそこにもう1つセロポルテーニョがあるらしい。リーグは1つ下のリーグだけれどユニフォームも応援の仕方もすべて一緒。てっきりこちらを応援してくれているのだと思っていたサポーターは、実は敵チームのものだとを知って驚いた。

 今週の火曜日は一番の親友コールマンと同じく親友のその彼女の結婚パーティーがあった。こちらで生活していると週に1度は友達の誕生日か結婚パーティーに呼ばれるが今回は準備・買出しから一緒に手伝っていたし、二人の結婚のテスティーゴ(証人)にもなっていたので本当に楽しいパーティーになった。誕生日会も結婚パーティーもたいてい本人が庭や家の前にテーブル・椅子・料理・音楽を用意して後は皆が勝手にいつのまにか集まってきて、飲む・食う・踊る、そして夜中までひたすら話しまくるだけなんだけれどそれが楽しい。友人もどんどん増える。パラグアイの人はみなこのパーティーが大好きだ。

 リーグ戦も明日再開してセロはスーパークラシックとなる対オリンピア戦をナショナルスタジアムで戦う。もう2週間以上前から街じゅうの人に注目されているカードで絶対に負けられないプレッシャーがかかる。オリンピアにだけは負ける事が許されない。その後ブラジルでのパルメイラス戦もすぐにあるし良い状態で試合にのぞみたい。

2001/04/16

1次リーグ突破


 この2週間に5試合が行われた。一番間の詰まるリーグのセロ・コラ戦はメンバーを落としたので出場しなかったが、それでもリーグ戦は前泊、リベルタドーレスは前々泊とセロで過ごすので2週間ずっとセロにいた気がする。

 リベルタドーレスは2試合ともホームでの試合だったが、パルメイラスとはナショナルスタジアムの「ディフェンソール・デ・チャコ」で戦った。自分にとっては初めてのスタジアムなのでホームも何もないが、選手やスタッフ、満員のサポーターの「ここでブラジルのチームに負けるわけには行かない。」という雰囲気を感じた。サッカー専用の素晴らしいスタジアムで、芝の状態が日本の国立のと変わらないくらいだったのに驚いた。

 こちらのスタジアムの芝はたいてい日本の芝とはちょっと違ってしかも長めの事が多い。セロの芝は特に重くて、チームに来た当初は20分ハーフの紅白戦もまともに走れないくらいのキツサだったのが懐かしい。セロがペルーやチリのチームにホームで大勝出来たのはこの芝生のおかげもあると思える。

 先週末はセマナサンタで街じゅうの人が休日で試合前日の金曜日は練習も休みに。来週はまた代表の南米予選があるのでリーグ戦は休み。来週の金曜のクラシックゲーム対オリンピア戦までは久しぶりにゆっくりとした日々になりそうだ。

2001/03/27

南米予選

 スタメン2試合目となったコレヒアレス戦は前半でセロに退場者が出たものの4-1の勝利。4日後に控えたリベルタドーレスに出場するためにも自分にとってアピールの必要な試合であったがまずまずの内容だった。日曜日に試合をして月曜日の練習後はセロに皆で宿泊、火曜日の朝からアスンシオンを発ちサンチアゴへ行きそこで練習して1泊。試合前日の水曜日に敵地リマへ。サンチアゴでの練習が寒かったのには驚いたが、日曜日の疲れも引きずらず良いコンディションでペルー戦を迎える事になった。

 久しぶりに3-5-2のウィングバックでの出場だった。こちらでプレーしていると毎試合、または1試合の中で数度はフォーメーションが変わるので今更どこを任されても不安はなかったが、前線にパラグアイ中から集まったタレントをそろえているセロの中で少し後ろのこのポジションをやる事は自分にとってチャンスだと思っていた。得点にからんだ場面ではどれもココという完璧なタイミングで仲間から出てきたボールをゴールにつなげたものだった。1月前ならほとんどそのタイミングで球を受ける事は出来なかったが今は出てくる。しかも必殺のタイミングで。この差はでかい。次は4月4日にパルメイラスをホームで向かえる。

 今週は水曜日に代表のワールドカップ南米予選対ウルグアイ戦があるため久しぶりに落ち着いた週末になった。セサルの誕生日に行ったりコールマンとその友達の家でご飯をご馳走になったり映画を見に行ったりと初めて週末を休む事が出来た。代表21人のうち11人が海外でプレーしている選手だがセロからも4人代表に入っているので水曜日は皆と共にパラグアイを応援したい。

 今週は土曜日にグアラニとのリーグ戦がある。

2001/03/15

イグアスへ


 土曜日のリーグ第2戦はバスで5時間の所にある街、シウダ・デ・レステでサン・ロレンソと対戦。 開幕戦で退場者が出た事と自分のプレーを理解してもらえた事とでスタメンで出場したがこのメンバーに混ざってスタメンで出る事に喜びを感じる。特に攻撃陣の質、言葉で表すのは難しいが自分に球が出てくる時の感覚が試合後も残っている。

 試合に関しては結果も出せたし、この中で十分にやれるという感触も得たのでぜひ引き続きスタメンを狙っていきたい。また毎日気の抜けないアピールの日々。

 試合後はパラグアイに来る前から狙っていたイグアスの滝に遂に行ける事に。 試合後バスでアスンシオンに戻るチームとは別れて国境を越えてブラジルへ、ホテルに宿泊し日曜の朝からブラジル側を見てまわり、その後車でアルゼンチンへ。アルゼンチン側も見た後再びブラジル経由でアスンシオンへ戻った。素晴らしかった。行けて良かった。滝壷のすぐそばやすぐ上まで歩いて近寄れるのでびしょ濡れになったけれど、暑い中汗だくになっていたので気持ちがよい。

 次節は木曜予定だったのが相手の都合で結局日曜日に、そしてその次の木曜は再びコパリベルタドーレスがペルーである。

2001/03/05

リーグ戦開幕!


 2月はすぎてもう3月。昨日はリーグ戦が開幕した。コパリベルタドーレスとフィリグラナ杯、小さい怪我とリハビリといろいろあってあっという間。試合の出場時間も1月の時に比べると90分やったり45分やったりで長い時間にもだいぶフィットしてきた。やっぱりスーパーサブみたいな起用が続くとどうしても、気持ちも体も20~30分ぐらいの仕様になってしまう時があるから今のタイミングで長い時間プレーできたのは助かる。

 ただ昨日の開幕戦は各下のチームにホームで負けた訳だからまずい。選手は試合前日、試合に備えてこのスタジアムで練習してそこで飯食ってそこで寝ている。文字通りホームの状況で試合に負けるのは本当に悔しい。
次節もう一度ホームなので今週の練習は凄くピリピリするだろうし次ぎ負けたらいろいろな意味で大変だけど、ある意味楽しみだ。

 それにしても、昨日のセロの応援席の応援旗は凄かった。世界一の噂は伊達じゃない!詳しくは田中氏の応援ページに写真があるので見てみてください。凄いから。誰がどうやって持ってきてるんだろう・・・・・

 先週の木曜日は午後の練習後、選手数人とその家族達総勢15、6人でペドロの奥さんの誕生日会。皆でご飯を食べたりひたすら話したりするだけなんだけど本当に楽しかった。
サッカー選手である前に一人の人間として、皆が友人として付き合いをしているのが嬉しい。いつでもどこでも何でも話し合う、これは大事だと思った。

2001/02/27

ラジカセを聞きながら

 木曜日のリベルタドーレス第2戦に備えて現在チームはバスで1時間程はなれた所にあるリゾート地のホテルに宿泊している。ホームでの試合なのだけれど、マスコミ等の雑音を避けるためにホテルで2泊して当日移動で夜9時からの試合に臨むらしい。この辺は試合にかける意気込みがすごいと感じる。リゾート地のホテルなので部屋も広く、プール、テニス、ビリヤード、卓球などそろっていてとても快適だ。午後から1度の練習以外は基本的にフリーなので、ゆっくり出来るが今日の午前中は心理学の先生が来てメンタルトレーニングのようなものを皆でやった。これまでも週に1回程度行われていたけれど、皆で自分の事や相手の事を話し合ったり考えたりするのだけれど、皆とても真剣だし面白い。

 2日目の夜は選手皆で集まって大抽選大会。プレジデンテがテレビ・コンポ・ラジカセ等を買って来てくれて抽選。試合へのモチベーションをあげるためらしい。大盛り上がりの抽選の結果なんとコンポに当選!でもデカすぎるのでラジカセに代えてもらってもって帰る予定。ちょうどCDを聞くためと自動車用にテープに撮るためにラジカセを買おうと思っていたとろだったの良かった良かった。

 明日はいよいよホームで初めての公式戦。頑張ります。でもどうやらここのホテルでは部屋から外線発信出来ない様なので、これを載せるのは試合後になりそう・・・

 という訳で試合から帰宅。試合には後半25分過ぎから出場、3-1で勝利。前の試合と違いホームゲームという事で前半からものすごい飛ばしようで、相手の時間稼ぎの対応に(明らかに引き分けに持ち込めればという立ち上がり)ベンチは怒り狂っていた。

 試合前からの物凄い熱気のスタジアム、出場した20分間の感想は言葉では表現できない。ただこっちで何が何でも活躍したいと思った。必死でやる価値がある。

2001/02/06

豪雨のち快晴


 先週は1週間があっという間だった。金曜日には今年のホームの開幕イベント試合(アルゼンチン1部リーグの相手との練習試合)。試合のほうは1-1の引き分け、後半25分過ぎからの出場。アシスト・得点は無かったけど明後日に控えたリベルタドーレス杯へアピールにはなったはず。練習試合とはいえ、試合前のイベントは物凄く盛り上がり大歓声の中での試合出場は楽しかった。

 チリ・サンチアゴ遠征のメンバーに入ったので、明日セロの練習場に泊り明後日出発するのだけれどセロは練習場・クラブハウス・宿泊施設等がすべてスタジアム内もしくはその横にあるので最近はかなりの時間をこの中で過ごしている気がする。庭には沢山実をつけたレモンの木があり、レモンジュースを作って飲むのがお気に入り。沢山の人がいろいろな仕事をしていて、その皆が家族のような雰囲気でチームを創っている。

 こっちの人は「HI」が「イ」、「YA」が「ジャ」なのでもっぱら「イロジャマ」と呼ばれていたが最近やっと「ヒロジャマ」までは浸透してきたのが嬉しい。でもどうしても「ヤ」は難しいらしい。あと一文字!

 まずはチリ戦。頑張ります。

2001/01/29

一週間

 今週は火・木・土と練習試合が入ったので2部練習は月曜だけ。空いた午前中。

 火曜日は自動車の免許を取りに隣町へ。あっという間に取れてびっくり。水曜日は各選手順番に歯医者で歯の治療。すごく痛かった。木曜日、初めて自分の運転でショッピングセンターへ。レースのような交通事情とガソリンを入れるのに苦労したが無事に帰宅。金曜日は朝7時半に集合して出発。バスで5時間。バスでの移動では映画を何本も見るが、皆このバスでの映画が大好きらしく、スペイン語字幕の映画が終わると拍手・口笛の喝采。土曜日の試合が終わり家に帰ってきたのは夜中の2時過ぎだった。

 各試合とも後半途中からの出場だったが、満足の行くプレーは少なかった。大事な試合も近づきチームに緊張感が出てきたのを感じる。もっともっとアピールしていかなくてはならない。

 今日のOFFは車であちこち行ったり来たり、買い物したりお茶したりビリヤードしたりとリラックスした1日だった。道も覚えたしレースのような運転にもなれた。パラグアイの道はデコボコだけど美しいと思った。

 明日からまた一週間頑張ります。

2001/01/22

メチャメチャ暑い!

1月14日
 状況は常に先行き不透明でデリケートだったのでこの飛行機に乗るまでは何も報告は出来なかった。今回の移籍で多くの人に心配や迷惑をかけてしまったけれど、大きなチャンスを貰えたと思う。怪我をしていた時、様々な経験をしていろいろ考える時間もあった。昨年の成績の分も今年はJEFで結果を出すのが自分の責任だとは思うが、契約交渉の席で南米で活躍の場を得るという可能性を選択した。そして今南米へ向かっている。後は結果を出すだけだ。
世界中どこに行ってもサッカーはあるというのは自分にとって夢がある事だと思う。生きてサッカーをしている残りの数年間に出来るだけ本物に触れたいし、出来るだけ経験したい。その気持ちで、辛い事も楽しい事も平然と自分の糧にする事が出来ると思う。
-------------------------------------------------------

 と、飛行機で書いたのももう大分前、毎日朝8時と夕方6時の2部練習、その間に事務手続きやメディカルチェックなどをこなしてホッとするまもなく1週間が過ぎた。選手やスタッフ、子供から大人までまるで昔からの仲間のように接してくれて、サッカーをする上で何もハンディなく挑戦できる環境に身を置けているのは、本当にありがたい。通訳もあえてつけないでやっているけれど、その分みんなで言葉を教えてくれるし必死で覚えるので今のところあまり不便していない。

 毎日チームの仲間や沢山のセリスタと声を掛け合ってサッカーに向かっていると自分とサッカーの間にあった贅肉が削ぎ落ちていくような感じがする。想像していた以上に様々な事で日本でやっていた時と違いがあるけれど、どれも苦にはならないし、むしろ納得してしまう。

 一昨日からは初の親善試合でバスで遠征に。「明日試合だからこれから出発だ」と声をかけられてバスに乗ったら、ホテルに着いたのは10時間後だった。皆面白いし大きなバスで席も広いので疲れなかったけれどこれには流石に驚いた。
試合は2-2で引き分け、1-2の後半20分過ぎに出場してファーストタッチでアシスト、それ以外はあまりよくなかったけれど、チャンスを生かしてポジションを奪いたい。

 と、まあ元気にやっているのでご心配なく!今日は朝帰ってきて久しぶりのOFFだったけれど、明日からまたサッカー漬けなので忙しくなるけど頑張ります。今後も応援よろしく!